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読書室の窓辺から(6)

※この記事には、本のネタバレを含む内容が書き連ねてあります

こんにちは。富岡です。
こちらは、課題図書型読書会「対談読書室」の6回目「課題図書『プリズン・サークル』を語り合う (6)」の振り返り記事になります。

参加人数
・スピーカー :2名
・リスナー* :2名
*スピーカーによるディスカッション中は聴き手に徹し、読書会の全体の振り返り時に任意で発言可

読書室の風景

『プリズン・サークル』の課題範囲を読みながらの反響をご紹介していきます。

12 サンクチュアリを手わたす

  • 翔の変化が見られて嬉しい。

  • 「出所日」の拓也。所持金は約2万円(内1万5千円は交通費)。一般的に、この所持金で新生活を送れるのか?衣食住は?父親の元が帰住先とは言え、この金額で新生活を送るのは厳しいと感じた。これで社会復帰ができるのか?

  • 受入先が家族だと出所しやすい。この「出所者のケアは家族がすべき」という家族信仰の強さを感じた。

  • 映画「ショーシャンクの空に」の登場人物を思い出した。10年ぶりに出所した登場人物。(どんなケアの仕組みかはわからないが)住居と職を与えられたが、孤独や生きづらさを感じて自死してしまう。仮に、日本の出所者の手元に10万円があり、住居と職があったとして、「再犯せず、社会復帰する」のためには、塀の外のサンクチュアリを如何に構成するかが課題になってくるのではないか。

  • 「くまの会」のユーヤを囲む元支援員とTC経験有りの出所者のコミュニティ。問題を抱えるユーヤを見つめる皆の視線が温かい。このように、支援するためには出所するためのコミュニティ、出所後の社会復帰のためのコミュニティの両方が必要なのではないかと思った。

  • 219ページ「出所日」より、「釈放前指導」での「課題集」の拓也の取り組み方と、他ユニットの受刑者の取り組み方の違い。拓也はTCでの振り返りを綴ったが、他ユニットの受刑者のほうは拓也から見て適当だったと感じたこと。

  • 217ページ:拓也の言葉。自分が「話すこと・聴くこと・聴いてもらうこと」が本当によくできるようになってきたのだなと感じた。自分の読書会の経験に通じるものがある。

  • 226ページ:暴力の連鎖を警鐘を鳴らしたアリス・ミラー、彼女も自分の息子の虐待に加担していた。このページで、戦争体験と戦争体験のトラウマの影響の深刻さを考えさせられた。

  • 日本におけるDVや虐待の連鎖は、日本の第二次世界大戦後のトラウマに対するケアが不十分だという説もある。日本は、2度の世界大戦の総括や、トラウマに対するケアの総括をしてきただろうか?

  • アリス・ミラー自身の警鐘に、精神科医である息子のマーティンが、アリス・ミラーの理論に敬意を払いつつ告発したことに希望を持った。(マーティンが、アリス・ミラーから虐待を受けたからといっても、彼女のすべてを否定していないため)

13 罰の文化を再考する

  • 228ページ:翔が前年度、仮釈放を却下されていることが明らかに。却下される場合、理由は説明されないことを知る。

  • 231ページ:保護会の実際

    • 「刑務所だけが唯一断らないんです」。この言葉が自分の心に重くのしかかった。自分には、何ができるだろう?自分なりの取り組みとして、「プリズン・サークル」の作品(映画・書籍)を知人に広めること・感想をシェアしていくことを続けていきたい。

  • 231ページ:「二つの入り口」

    • 保護会施設。55日間、無償で食事と住まいを提供される。翔は、よい保護会に出会えたことがよかった。ユーヤと真人も保護会を利用しているが、印象はよくなかったようだ。支援の質にばらつきがあるのが、悪い意味での日本の現場らしさなのかもしれない。

    • 同じ地域にあるのに地域住民とは隔絶されている保護会施設。障害者運動と同じだと感じた。(インクルーシブ教育と言われていても、実際に授業を受ける学校・学級は別のことも。「やまゆり園」のような山奥の施設に隔絶させられてる)

  • 233ページ「あさひ感謝シンポジウム」、自分は「よいイベントだ」と思ったが、1回で終わってしまっているのがもったいない。障害者差別と同じ。相手を知らないことが、差別感や偏見を生み出す原因だと思っている。そこから連想したのが、『プリズン・ブッククラブ』。カナダのジャーナリストが刑務所で読書会を開催。『プリズン・ブッククラブ』の著者も、強盗致傷の被害者。読書会で関わるうちに、著者の受刑者に対する眼差しも変わっていく。

  • 242ページ:刑務所の未来

    • 世界では1,100万人以上が刑事施設に収監・収容されている。「ネルソン・マンデラ・ルールズ」や「開放型刑務所(北欧やドイツなど:243ページ)」の存在に驚いた。一方での日本の現状(234ページ:静かな施設で)は、人権侵害ともいえる「囚人化のプロセス(237ページ)」を翔が体験しているのが痛ましかった。

    • 問題視されている人々が、ケアや教育を受けられるためには?例えば、ギャンブル依存症。「依存症」というカテゴリになる前は、「どうしようもない堕落した人」の印象を持たれていたが、「依存症」という「ケアの対象」になってから、よい方へ扱いが変わってきている。刑務所も同じではないか。

    • 日本は、「問題が起きないように」という観点からの社会の構成が多い。人間は失敗するもの。現在の日本は、ヒューマンエラー(人間的な間違い)をあまり認めていない。人間は失敗するものという前提で、ヒューマンエラーをリカバリーできる社会を構築するべきなのではないか。

    • 日本の学校現場での「いじめ」。日本の学校現場では、「いじめ」がおきたときに隠蔽する・無かったことにすることによって日常を保とうとする。いじめはあるものだという前提で、加害者・被害者ケアをしていくべき。なぜこの教育現場について言及しているかというと、「ネルソン・マンデラ・ルールズ」では、「刑務官は必要な教育を受けるべき」とされているが、刑務官の教育は「いじめ問題でどう穏やかに解決するアプローチをとるのか」を学ぶことが必須だと考えるから。

    • 日本は、人材を育てるというよりは、適当に見つかった「使い勝手のいい」人材を長時間働かせる傾向があるように思う。なぜこれが問題に思うかというと、だからこそ、「自分はこんなに働いているのに、犯罪をに手を染めるような堕落した人間やろくでもない人間がいる。そんな奴は死刑にしてしまえ」という国民同士の分断・対立につながっているように思う。やりたい放題したい権力側の思惑通りなのではないか?

  • 244~245ページ:私たちの安全観を問い直す

    • 平野啓一郎『死刑について』を読んで。フランスの事例。世論調査では過半数が死刑制度維持を支持。ミッテラン大統領候補「良心に基づいて、死刑制度に反対する」と公約を掲げ、当選。国会での議論により、死刑制度を廃止。死刑を廃止することで、そもそも「死刑にすべき!」という発想自体が出てこなくなってきた。日本も同じような道をとれるといいと個人的には思う。

  • 246ページ:アボリションのリアリティ

    • 「アボリション・ポリシー」自分には「刑務所をなくせる」という発想がなかったので新鮮だった。もっと調べてみたい。

今回の課題範囲を振り返って

スピーカー、リスナーから、様々な感想が寄せられました。
一部抜粋してご紹介します。

  • 毎回、読書会を通して感じることとして、対話の大切さ(自分のことを見守ってくれる人のいることの大切さ)の効用を思う。「ケアし、ケアされる社会を創りたい」と思い、最近の読書傾向との結びつきや関連を感じる。「考える」ときには、自分1人ではなく、他者の存在も大切だと思った。

  • 特に13章の239ページ「相反する二つの文化」のナヤ・アービターの言葉が印象に残った。どんなに素晴らしい環境を用意しても、常にそれをアップデートしなければ、時代・文化に不相応なものになっていってしまうという教訓だと思った。子どもも含めて、個人が「自分の意見を発表し、聴いてもらえる」ということは人類の基本的人権だと思っている。

  • 12章では、「ショーシャンクの空に」の映画の話が出たときに、年をとった受刑者が自死する場面。この場面で、彼は「ブルックスは此処に有りき」と刻んで自死する。刑務所の中では自分の役割が有り自分が必要とされていた。刑務所内で仲間がいて、それを「出所」という形で断ち切られたことが彼の自死につながっていると感じた。「ショーシャンクの空に」の主人公の振る舞いや存在そのものは、まさに人権そのもの。音楽を聴いたり、本を読んだり。受刑者であっても、人間の尊厳があるんだということを伝えてくれている。214ページの、サンクチュアリを作り、それを手わたす。周りの人は、証人として、それを見守る。それが、映画とプリズン・サークルの書籍、今回の読書会のフリートークを聴いていて強く感じたこと。また、フリートークでの、戦争が原因となって、PTSD・戦争トラウマを発症したがトラウマケアがなされなかったことで、現在の日本にもDVが連鎖している件。沖縄戦の研究者の間では、研究的に有意な結果が出ていることが共有されている。

  • 13章のフリートークを聴きながら。231ページの「日本はケアの必要な人ほどケアしない(中略)刑務所だけが唯一断らないんです」が心に強く残った。ここから逆算して、自分に何ができるかを考えている。また、社会が仕事や住まいの問題で出所者を受け入れないという現実がある。これは、「NIMBY(Not In My Back Yard:問題の必要性は認めるが「我が家の裏庭」でやらないで、の意)」の問題として、沖縄の基地問題、原発関係の問題にも通じるものだと感じた。「犬にならざるを得ない」という囚人化の問題。入管施設でも起きていると感じる。被害を受けている対象者は、非人間的な現実に適応するために彼らは「人間性のスイッチ」を切ってしまう。「ネルソンマンデラ・ルールズ」「バンコク・ルールズ」について、この本で国際基準の存在を知れて良かった。246ページの「そもそも刑務所は必要なのか?」という「アボリション」の問いかけが勉強になった。247ページ「社会の安全とはなんだろう?」という問いかけもよかった。NIMBYではない、と感じた瞬間だった。

  • 戦争のトラウマと暴力の連鎖。明治生まれの主人公が、自身の妻に暴力を振るう場面がある『流転の海』(宮本輝)の読書会の内容を連想した。もう一点、「コミュニティの解体」という背景から「個人」が登場しているという歴史的背景がある(近代化による、個人と国家の関係)。この「個人」と「コミュニティ」をどう両立させていくか、ということを皆で考えなければならないと感じる。

  • 差別の根源は知らないことから始まる。具体例としては、性的少数者や部落、異文化(外国人差別)、宗教2世…なども含まれる。当事者の語りだしは困難だし、無理強いしてはいけないが、彼らが発信するときに、その語りを聴くという姿勢を示すことが大切だ。

  • 個人とコミュニティのことに関連して。『なんでも見つかる夜にこころだけが見つからない』(東畑開人)の、コミュニティとしての会社や家族などの「大きな船」にのっていれば個人が支えられていたというニュアンスの話を思い出した。NIMBYについて。自分もそのようなマインドを持っているとも感じ、考え続けなければならないと感じた。

  • NIMBYについて。「そのアイデア自体はいいんですよ、うちの近くでなければ」という「他人事感」が一番問題だと思う。この「他人事感」を解消するためには、島根あさひ設立時のように、丁寧な意思疎通の場を用意することが大切だと思った。