読書室の窓辺から (2)
こんにちは。富岡です。
こちらは、課題図書型読書会「対談読書室」の2回目「課題図書『プリズン・サークル』を語り合う (2)」の振り返り記事になります。
第2回 参加人数
・スピーカー :3名
・リスナー* :2名
*スピーカーによるディスカッション中は聴き手に徹し、読書会の全体の振り返り時に任意で発言可
今回の課題範囲から、人によっては徐々に内容がしんどいものになるので、「リスナーは途中入退出自由」「スピーカーであってもクールダウンのための途中退室・再入室が可能」というルールを新たに設けて運営することになりました。
読書室の風景
『プリズン・サークル』の課題範囲を読みながらの反響をご紹介していきます。
3 隠さずに生きたい
TCの訓練生が、テキストを見ながら自分の感情に日々向き合いながら語れているのがすごいと思った。前回の読書会(注:第1回目 2022年9月3日)以降、その日あったことを約2週間言語化してみたが、なかなか難しい。しかし、「モヤモヤした気持ち」も「(気持ちに名前が付けられないから)仕方がない」と処理するのではなく、「ここが不満だった」と言い換えたら、解決の方法が見つかって良かった。今後も意識していきたい。
44~45ページが印象に残った。『プリズン・サークル』に出てきた人は、感情を麻痺させながら生き延びてきた。
4 暴力を学び落とす
この章の「暴力を学び落とす」の「学び落とす」という言葉が心強いと思った。暴力ほか、依存症も「学び落とせる」ということに希望があると思った。主人公たちは、語ることによって、暴力に代わる方法を得た。何らかの希望があれば、学び落としができるのではないかと思った。
58ページの「暴力は『学び取られた行為』」の一節に驚いた。読書前は、粗暴犯はいきなり暴力を振るうものだと思っていた。
60~61ページ。訓練生が笑う。ハッとさせられた。他の刑務所の作品では「笑う」という印象はない。
77ページ「加害のトラウマ」。初めて知って驚いた。ニュース等で加害者が「自分のやったことを覚えていない」との証言。それは「覚えていないはずがない」と思っていた。しかし、少なくともその当時の加害者にとっては、それは「本心」だったのだと知ることができた。
「保護者による殺人未遂を生き延びた」というワードが強烈だった。印象に残った。それほどまでの凄まじい暴力というものが存在しているのか。
なぜ印象的だったのか。子連れで出社していた職員(同僚)。その横でふざけてはたき合う職員。親である職員が「やめてよ。そんな光景を見ちゃったら、うちの子が暴力を覚えちゃうでしょ!」そのため、「学び取られた行為」という研究結果は、ある意味納得だった。作中に出てきた「叩いた・叩かれた」という表現は、実は、骨が折れるくらいの暴力。その重大さに対しての「(加害者の)表現の軽さ」に驚いた。
5 聴かれる体験と証人-サンクチュアリをつくる
88ページ「被害と加害が混じり合う」「通常の刑務所では見られない~反省が求められる」。加害者の被害者性を加害者自身が気づいて認めていかなければ、更生というのは難しいのでは?
「みんな平等~転がってったんだなって」監督がよく撮れた(素晴らしい)
「サンクチュアリ」、自分自身のサンクチュアリはあるか。(そのような場所がないと、人間は犯罪傾向に近づいていくのでは?)
95ページ、「余暇時間」。5行目「余暇時間はアキラにとって(中略)ケアされ、ケアし合う、親密な空間でもあったことがわかる」ここで、日本の北九州市内の支援団体やアミティの当事者スタッフを思い出した。
島根あさひのTCは、当事者スタッフは居ないが、アメリカでは居る。北九州市では、当事者がスタッフである場があると感動した。色んな当事者のロールモデルがあるとよいと思った。
サンクチュアリ。何でも語れる場。大学時代、寮や下宿をしている友人のところに泊まりにいったとき。運転免許を合宿で取りに行った。今となっては何を話したかなんて覚えていないが、楽しかった。サンクチュアリ、比べない場であるのがよい。今は、趣味繋がりでそのような場が持てている。大切にしたい。
ケアされケアし合う。熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学研究センター准教授)「自立とは依存先を増やすこと」。ケアされケアし合う。そういうことか、という気づきが得られた。
出所後のロールモデルの話。日本に既にある。強盗致傷の経験のある人が、清掃業を通じて社会復帰をサポートしている。犯罪被害者遺族が就職支援をしている例も聞いた。遺族「葛藤は色々あるが、加害者をサポートすることが、犯罪をなくすことにつながるのではないか」。
今回の課題範囲を振り返って
スピーカー、リスナーから、様々な感想が寄せられました。
一部抜粋してご紹介します。
3、4、5章で感じたこと。一見身勝手そうに聞こえる加害者の言葉。自分の想像力の翼を広げることで、「自分も、そのような環境に置かれたら、そのような言動になるかもしれない」と思えた。
子どもの頃の暴力。親を頼らなければならないし、親は絶対的だった
「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル:著)を思い出した。筆者のように、過酷な状況に耐えられる人・その状況下でも希望を持てる人も居る。(全ての人間には難しい話だが)。
登場人物、みんなまとめて抱きしめてあげたい。自分自身の子どもの頃も、つらいなか生きてきたねと抱きしめてあげたい。本の中でも、主人公が抱きしめられたいと言っていたのが印象的。身体的なハグは大人になると難しいが、言葉のハグがあれば、人は優しく生きていけるかも?
今回の範囲。自分のトラウマとも関わる重いテーマだった。被害者側というよりは、加害者側によってみている。作中に登場する加害者側の子どもの頃は、居場所がない。サンクチュアリが大切なのか?
第3章「どこかで引っかかっていたことを認める」「あなたが心から~いつだった?」自分が自分に施してきたこと。自分を認められている気分になって、救われた気分になれた。「笑う」ことの回復性を学べてよかった。しんどかったけど、学びがあった。
主催者からのメッセージ
(運営に関して)
主催者側の音響トラブルなどでご迷惑をおかけした回となりましたが、今回も活発に意見が交わされた会となりました。ありがとうございます。
(お知らせ:10月の活動日)
来月から、活動時間が午前中に変更となります。
お間違いのないように、よろしくお願いいたします。
10月1日(土) 10:00~12:00
10月15日(土) 10:00~12:00
10月29日(土) 10:00~12:00
※11月以降は、随時Discordでお知らせしてまいります。