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2019①

名古屋CLUB QUATTRO

2月が終わる、今年度も残るところ1ヶ月。光陰矢の如し、右往左往、縦横無尽にのたうち回る内にまた1周が終わろうとしている。何時の間にか時が過ぎるのは恐ろしい事に思える。他方、時が経つのを忘れる程に生きていたと考えると、まぁいいか、とも思える。

さて、今回はthe pillows REBROADCAST TOUR@名古屋CLUB QUATTRO(2018/11/30)だ。2019年ではないが、年を跨ぐツアーなので、その辺りは目を瞑って頂きたい。筆者が本ツアーで最初に参加した会場だ。
前回の記事でも触れたが、ツアーの当時、筆者は岐阜に住んでいた。「愛知の植民地でしょ?w」とか言う輩はご退場願いたい。就職はしていたが、配属先も県内だった。その様は正に井の中の蛙である。そんな蛙はアクセスの良さから活動の拠点を愛知に据えてはいたが、地元柳ケ瀬antsにご降臨される折は余計に熱を帯びるが、その話はまた何処かで。

親子参加

the pillows結成30周年を祝うアニバーサリーツアーの直前、筆者は念願叶いofficial fan club What's pillowsへの入会を果たしていた。社会の歯車1年目の新入社員、女の影は微塵もなく、金はツアーの遠征費に充てる算段であった。
ファンクラブ会員の力は凄まじく、ツアーファイナルを含めた5会場のチケットを獲得していた。どの会場も単身参加だったが、最初だけはチケットを3枚購入していた。

BUSTERSの中にはLIVE会場で「枕一家」に遭遇した事がある方もいらっしゃるのではないだろうか。因みに枕一家は母が勝手に名乗っている。筆者は当然として、7つ下の弟とついでに母もBUSTERSである。何を隠そう、我が家で最初にthe pillowsと巡り合ったのは当時小学生だった弟なのだ。カートゥーンネットワークで放送されていた「ベン10」、EDで 流れていたのが「Ladybird girl」だった。スピッツやBWOOYが中古のレガシーで流れていたような枕一家が
the pillowsに出会ったのは、今思うと何も不思議な事はない。

2人もLIVEに行きたいと言うので、筆者はチケットを2人の分も用意した。当日もLIVE会場までえんやこりゃえんやこりゃだったが、弟も母も随分とはしゃいでいたのを今でも割と鮮明に覚えている。その後も岐阜や愛知でのLIVEは枕一家で参加を続けている。

邂逅

the pillows結成30周年の直前、筆者はTwitterにthe pillows専用のアカウントを作成していた。(2回目)SNSを介さずにBUSTERSと巡り合うのは天文学的な確率の珍事である。「the pillowsを知っている」という人には比較的出会う一方「BUSTERSです」という人には巡り会わない。このニュアンスの違い、BUSTERSなら首が千切れそうな勢いで頷いてくれるであろう。Twitterであれば、幾らでもBUSTERSと繋がる事が出来る。全く良い時代に生を受けたものである。

アニバーサリーイヤーも大変助けとなり、ツアーが始まる頃にはBUSTERSとのSNS上での交流は日常の一部となっていた。そんな最中、LIVE後に1人のBUSTERSと会う約束をしていた。両手にLIVEグッズを抱え、3人併設する映画館の入り口で待っていると、そのBUSTERSは筆者たちを見つけてくれた。

筆者自身、俗に言うリアルでBUSTERSとお会いするのは初めてだった。安っぽいプラカップ達で乾杯し、感想をちぐはぐに語らった。今思うと、BUSTERSとはいえ、初対面の方を3対1で囲んでしまった事を申し訳なく思う。

写真何かも撮ったりした後、電車で帰ると言うBUSTERSを見送って、枕一家も帰路に就いた。決して流暢に話せたとは言えないが、      「BUSTERSとthe pillowsを話す」という行為は筆者の中に新たな気持ちを芽生えさせた。家族や昔付き合っていた子に布教するのとは違う相互通行はLIVEをもう1つ美味しくした。

この初めてで味を覚えた筆者は、どんどんと面白い方へ転がっていく事となるのだ。

ここまで読んで下さった方はお気づきだろうが、本記事はライブレポートとは少々毛色が異なる。筆者自身、その辺りは既にSNSで語り尽くしているので、不要の産物である。今連載では本記事のように、LIVE周辺での出来事に焦点を当てていく予定だ。入退場は自由である。

次回はthe pillows REBROADCAST TOUR@金沢EIGHT HALL、初上陸の地で筆者に様々な出来事が降り注ぐ。

ではまた。

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