どうして劇団をつくろうと思ったの?

ついに公開しました。劇団ポイニクス。
これからのことを考えると、実は様々なことが進んでいて早く色々と話したいと思いながらも、様々な条件や準備の関係でまだ話せないという歯痒い状況にあります。劇団のリリースと一緒に旗揚げ公演の詳細なんかも一緒に出せたらかっこいいよな〜なんてなことも考えたりしましたが、私のことを少しでも知っている方ならご存知でしょう、大体かっこつかないのです、断念しました…

されど、リリースしたことで心が良い意味で?穏やかではなくなかなか寝付けずに結局キーボードを叩くことにしました。どうして劇団を作ろうと思ったのか?ということをまとめたくなったからです。今日(といっても日は変わりましたが)という日に少しピンのようなものを刺すために。
 

2年前、トライアル公演でのこと。

私が劇団を作りたいと最初にふと思ったのは、約2年前のことでした。当時私は劇団@nDANTEの企画「トライアル公演」にて初めての作・演出に挑んでいました。この企画は、私とイシケンさんの二人が作・演出を担当し、@nDANTEの団員、新大劇研の方々、客演でお呼びした方々をMIXして2チームに分かれて作品をそれぞれ上演するという公演でした。

その時の自分はそれはもう、本当にお粗末で
脚本は全然書き上がらないし、そんな状況でオーディションは始まり、キャストが決まり、稽古が始まり、、、
最初の読み合わせでキャストをチェンジしては、台本を数多書き換えて、助演出に散々迷惑をかけ、挙げ句の果てに公演二週間前くらいに台本2ページ分くらいの長台詞を追加するなど、今となっては信じられないようなことばかりやらかしていました。

それでも、無事に上演をすることができました。コロナの影響で無観客の配信公演となってしまいましたが。役者並びにスタッフの方々には本当に今でも頭が上がりません。
苦しい思い出がたくさんありましたが、公演が終わった後に思ったのは性懲りもなく「もう一度やりたい」ということでした。

自分が作りたいと思ったものが、様々な人と共に作り上げることで形になる
ある種の演劇の醍醐味を強く感じたのでした。そして、一緒に作り上げていくその時間が今でも忘れられないくらい楽しく充実していました。この座組はこの公演限りのメンバーでしたが、これがもし自分の劇団だったらな…なんてことを考えてしまったのが、おそらく初めて劇団を作りたいという気持ちが芽生えた時だったと思います。

また、後悔からというのもあります。
もっと計画的に、もっとスムーズに、もっと楽しく、もっと面白く、
そんな、たくさんの「もっと」が後悔の気持ちを駆り立てました。
この公演を最後に大学を卒業して演劇から離れる女性が二人いました。もしかしたら彼女達にとってこれが舞台に立つ最後になるのかもしれない、そう思うと、これでよかったのかな?と。ただ、後悔を後悔と決めつけるのはある意味彼女達に失礼かもなと思いながら、この後悔は同じような挑戦をし続けないと取り返せないなという気持ちから来るものもあると思っています。
ちなみに、彼女たちはいまだに私が出演する公演の度に足を運んでくれています。ある意味私が演劇を続ける1つの理由です。

「明けてぞ今朝は」でのこと。

2月に行われた劇団@nDANTE第16回公演「明けてぞ今朝は」も大きなきっかけの1つでした。私が演じた「青木孝弘」は劇場を作ろうと躍起になっている人物。この頃には自分も劇団を作ろうという気持ちが高まっていたので、どこかそういった熱意がリンクしていた気になっていました。しかし、彼の方が不器用ながらも色々と先を行っていて、かつ熱量も全然もっている。されど、彼の悪いところも自分に似ていて、だらしなかったり、集中すると周りが見えなくなったり、そんなことを考えると演じるのが苦しくなって本当にキツかった時もあったのですが、結局思ったことは
「彼に負けたく無いな」ということでした。

その気持ちは沸沸と煮えたぎり、公演が終わって公演ロスを迎えるであろうタイミングで劇団を作るということに踏み切れたような気がしています。
あとは、劇団@nDANTEを1回離れてみたくなったという気持ちもきっとどこかにあったような気がして。

イシケンさんが作る作品が僕は本当に好きで、色々と無理もたくさんしてきたけど、多くを見て、学んで、たくさんの忘れられない経験もして、終わってみれば楽しいと毎回思っています。でも、どこか「それでも、自分がやりたいことをやりたい」と思っていた節があって、ずっと心の突っかかりとなって団員に対してモヤモヤした感情をぶつけてしまうことも多々あったなと、今となっては少し反省しています。
だから、多分、@nDANTEの中で活動するだけでは、この気持ちは満たされないだろうと、だから一回離れて自分のやりたいことをしようという気持ちが尚のこと劇団の立ち上げにつながっていったところもあると思います。

されど、退団ではなく休団としたのは
結局私にとって、@nDANTEが大切な場所なのは変わりなく、きっとそれは今後もそうなのだろうと、だから、これから演劇人として成長したら、また@nDANTEとして演劇をしたいと、勝手ながらそう思っているからです。

長岡という場所

極め付けは、長岡という場所について。
長岡は私が演劇を始めた地です。長岡向陵高校演劇部が、私の演劇の始まりであり長岡リリックホールが私が初めて舞台にたった場所です。
そして、どういう縁か、私は今長岡リリックホールに勤めています。

昔は多数の劇団が長岡にはあり、シアターゴーイングが行われたりと演劇が盛んに行われていましたが、今は全く行われていません。
リリックホールがありながら、演劇が行われないのはどうももったいないとどうしても思ってしまうのです。

だから、先ず隗より始めよ
自分から、劇団を作って、長岡でコンスタントに公演を打ち、いつかまた演劇祭のようなものが長岡で行われたら、それは幸せなことだなという一心で、行動していきたいと思います。それが目的というと少し大きくなりすぎるところもあり且つそれが全てというわけではありませんが、良いじゃないですが、今日くらいそんなこと語ってみたって。いうだけただだし。

ちょっと話があちこちいってしまいましたが、劇団を作ろうと思ったその経緯や心情を吐くように書き連ねてみました。
あくまで備忘録みたいなものです。

まだ公表しただけ、全てはこれからです。
頑張りすぎると苦しくなっちゃくから、なるべく色々な人と足並み揃えて、楽しくやるということを忘れずにこれからやっていきたいと思います。

この劇団で大事にしていることは
「長岡で永く演劇を続けていくこと」なので。

それでは、劇団ポイニクスのこれからを、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。


P.S
眠気で途中描くのを何回もやめようかと思ってしまったので一部やっつけで
ちょっと大言壮語が過ぎたかもしれない。
ご愛敬。

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