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"揺れる”?『第五宗谷丸』

1971年(昭和46)東日本フェリーで『第七大函丸』として就航。

第七大函丸/東日本フェリー時代(船首が箱型である) 写真出典:保有船舶リスト

1975年(昭和50)東日本海フェリーへ船首改造後売却された。船名も『第五宗谷丸』へ変更。

SOYA MARU No.5
第五宗谷丸(元 第七大函丸/東日本フェリー)
■総トン数 790トン
■馬力 2000馬力
■全長 57.2m
■航海速力 13.4ノット
■旅客定員 484名
■就航 1975年(昭和50)5月
■退役 1994年(平成6)8月
稚内港
稚内出航直後の「第五宗谷丸」

Episode
当時、乗船客や船員からは、”揺れる船”と呼ばれていたらしい。もしかすると船首改造が影響していたのか?

島へ向かう「第五宗谷丸」
利尻島鴛泊港入港直前の『第五宗谷丸』

Episode
1983年(昭和58)9月に発生した”大韓航空機撃墜事件”では、269名が犠牲になった。墜落場所は、ロシア・サハリン州のモネロン島(日本名 海馬島)近くであり、9月4日、日本や韓国などからの遺族を乗せて『第五宗谷丸』は、現場海域へ向かい洋上慰霊を行っている。

Episode
撃墜事件より2年後の1985年(昭和60)9月1日にサハリン(樺太)を望む宗谷岬(稚内市)の高台に犠牲者を慰霊するため『祈りの塔』が建立された。

『祈りの塔』/宗谷岬(稚内市)

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・Wikipedia
・Website 船舶保有リスト


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