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利礼航路初の1000トン級フェリー『第二宗谷丸』

1972年(昭和47)、新造船として航路初の1000トン級フェリーとなる『第二宗谷丸』が就航します。ブリッジが低い位置にある珍しい船体でした。
『第二宗谷丸』の就航により『第一宗谷丸』とともにカーフエリー2隻体制が整う。

1973年(昭和48)の運航実績は、旅客数が延べ45万人となり、この頃が離島ブームのピーク期となる。その後、数年間は増減を繰り返すが、1974年(昭和49)に利尻礼文島サロベツが国立公園に昇格し全国的知名度も上がり観光客が急増します。

1975年(昭和50)には、『第二宗谷丸』を始め、『第五宗谷丸』(790トン)、『第七宗谷丸』(999トン)、『第一宗谷丸』(537トン)の1000トン級3隻、500トン級1隻が整い、航路の輸送強化に力を入れていきます。

1988年(昭和63)10月より北海商船に用船され小樽~利尻礼文航路に就航するも1993年(平成5)12月29日小樽港発便を最後に運航を終えました。
その後、海外へ売船されましたが、2020年7月にフィリピン・セブ島近くで船内火災が発生、その後解体されたようです。

SOYA MARU No.2
旧フェリーターミナルと「第二宗谷丸」/稚内港
第二宗谷丸(新造船)
■総トン数 988トン
■馬力 2600
■全長 65.9m
■航海速力 13.9ノット
■旅客定員 520名(7月・8月 661名)
■就航 1972年(昭和47)4月
■退役 1994年(平成6)2月
■解体? 2020年 フィリピン・セブ島近くで船内火災が発生、その後
解体されたようです(添付YouTubeをご参照ください)
『第二宗谷丸』は、サハリン(樺太)へのチャーター船としても使用された
■輸送実績
・1985年(昭和60)5月 「日ソ協会平和友好の船」83名
・1985年(昭和60)9月 「サハリン平和交流の旅」75名
・1986年(昭和61)5月 「日ソ協会平和友好道民の船」38名
・1986年(昭和61)9月 「サハリン平和交流の旅」80名
・1987年(昭和62)9月 「サハリン平和交流の旅」98名
・1988年(昭和63)9月 「サハリン平和交流の旅」141名
旧ターミナル第一バースに着岸する「第二宗谷丸」/稚内港
着岸後ランプドアを下げる様子。右手奥手に稚内桟橋駅の建物が撤去されているのが確認できる
北防波堤ドームに停車している乗用車。駐車場なのか、これからフェリーに積載される車なのか?蒸気機関車C55型も当時は”健在”であった
旧フェリーターミナル第2バースに着岸する様子
旧フェリーターミナル第2バース着岸直前の様子/稚内港(1975年/昭和50年)
旧フェリーターミナル第2バースの下船風景/稚内港(1975年/昭和50年)
旧フェリーターミナル第2バースの乗下船風景/稚内港(1975年/昭和50年)
旧フェリーターミナル第2バースの乗下船風景/稚内港(1975年/昭和50年)
稚内港を出航、島へ向かう「第二宗谷丸」
利尻島へ向かう「第二宗谷丸」
「第二宗谷丸」が表紙の時刻表
当時の発着時刻と交通機関接続表
「第二宗谷丸」が表紙の運航時刻運賃表
運航時刻表と運賃表
フィリピンのCokaliong Lines Inc.へ売船され船名も『M/V Filipinas Dinagat』へ変更された。しかし、2020年7月船内火災が発生し、その後、解体されたようだ。下記のYouTubeは、その火災の様子を伝えるもの。

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・YouTube/Philippine Ship Spotters' Society


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