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航路初の貨物専用船『リバティ・ベル』

1996年(平成8)4月、地元稚内の企業がRORO船(貨物船)『六甲エクスプレス』の配船を開始する。のちの、東日本海フェリー『リバティ・ベル』である。

航路は、稚内郊外の抜海漁港から利尻礼文島への''最短距離''。
『六甲エクスプレス』は、当初、カーフェリーで運べなかった危険物(ガソリンなど)や建築資材を主に輸送していた。
その後、島民の乗用車も運ぶようになると、徐々に、フェリー会社の実績にも影響を及ぼすようになる。フェリー会社の収益の大きな柱となる大型トラックや乗用車が『六甲エクスプレス』にシフトされだした。
その1つの理由と考えられたのは、航送運賃の差である。カーフェリーと比較すると『六甲エクスプレス』の方が約30%安価であった。
安い運賃は、企業(利用者)にとって魅力的である。

しかし、カーフエリーは、便数が多いこと、定時性への信頼により優位性が高まっていく。また、フェリー会社自体も航送運賃の見直しに動き出すことになる。

『六甲エクスプレス』
『六甲エクスプレス』

2000年(平成12)東日本海フェリーが『六甲エクスプレス』を買い取る。その経緯については、記憶がない。
船名は、『リバティ・ベル』へ変更され稚内港をベースに週3便運航で東日本海フェリー初のRORO船(貨物船)となった。 
その後、カーフェリーでも危険物輸送が許可されたことにより、2007年(平成19)、海外(ギリシャ?)へ売船される。

海外売船を待つ『リバティ・ベル』/稚内港
海外売船を待つ『リバティ・ベル』/稚内港
稚内港

『Liberty bell』
■総トン数 698トン
■航海速力 18.5ノット
■車両積載能力 12mトラック 13台
■就航 2000年(平成12)
■退役 2007年(平成19)

右奥:『リバティ・ベル』 左側『アインス宗谷』

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表

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