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''元祖 流氷クルーズ船''『第十宗谷丸』

1984年(昭和59)5月、新造船の大型フェリーとして登場したのが『第十宗谷丸』(1599トン)。稚内~礼文島(香深)を片道2時間10分で結びスピードアップが図られた。2年後の1986年(昭和61)には、2000トン型大型フェリー『第十一宗谷丸』も就航する。利尻礼文への''大量輸送時代?''の到来となった。

SOYA MARU No.10

第十宗谷丸(新造船)
■総トン数 1599トン
■全長 70.20m
■馬力 3200
■幅 14.50m
■航海速力 14.8ノット
■車両搭載能力 8トン積トラックのみ16台、または乗用車のみ40台
■旅客定員 夏期(7月・8月)650名 夏期以外450名
■就航 1984年(昭和59)5月
■退役 1994年(平成6)12月

内海造船㈱田熊工場(広島県尾道市)/「第十宗谷丸」は、冬の厳しい環境を考慮して”耐氷設計”されたという記録がある。それゆえ、就航後、「流氷クルーズ」が実施されたのであろうか。
艤装中の「第十宗谷丸」/内海造船㈱田熊工場(広島県尾道市)
ブリッジ(操舵室)
スクリュー(プロペラ)近くにいる人物と船体の大きさが比較できる
艤装中の「第十宗谷丸」/内海造船㈱田熊工場(広島県尾道市)
「第十宗谷丸」竣工記念カード/内海造船㈱発行


一般配置図


一般配置図
内覧会もしくは初就航日とおもわれる/稚内港
稚内港
「第十宗谷丸」と「ニュー宗谷」/稚内港
利尻島鴛泊港の「第十宗谷丸」/船体の青色と利尻山の雪の白色が印象的
1989年(平成元)より1994年(平成6)まで「第十宗谷丸」は、サハリンへのチャーター船として活躍する。1991年(平成3)には、稚内~コルサコフ(日本名 大泊)間で戦後初の「稚泊連絡船」航路でのチャーター運航を行いました

サハリン・チャーター実績
■1989年(平成元)稚内~ホルムスク間 6往復 合計752名
■1990年(平成2)稚内~ホルムスク間 4往復 合計732名
■1991年(平成3)稚内~コルサコフ間 7往復 合計557名
■1992年(平成4)稚内~コルサコフ間 6往復 合計823名
           稚内~ホルムスク間 2往復 合計259名
■1993年(平成5)稚内~コルサコフ間 10往復 合計1,057名
■1994年(平成6)稚内~コルサコフ間 6往復 合計455名
※この後、1999年(平成11)の「アインス宗谷」による稚内~コルサコフ間の定期航路開設を待つことになる。

『流氷in宗谷海峡クルーズ』(2月〜3月の土曜・日曜限定)

『第十宗谷丸』は、利礼航路においては全国から利尻島、礼文島へ向かう観光客を運び、チャーター船として樺太(サハリン)へ”元島民”などを望郷の地へ送り届けた。そんな「第十宗谷丸」は、イベント船として従来の連絡船では行われなかったような利用のされかたをする。
『流氷クルーズ船』~1980年代中頃以降、頻繁に北海道北部へ流氷が到来。「第十宗谷丸」は、網走の砕氷船「おーろら」に先んじて”流氷観光船”として活躍した。当時としては、斬新なイベントであったと考えられる。まさに『元祖 流氷クルーズ船』といえる。
クルーズでは、「船上結婚式」が行われたという記録がある。また、船内では、”流氷入りのウイスキーのサービス”や”クルーズ記念のニッカウイスキーのポケットボトル”も販売されていた。また、乗船者には、赤色のパスポートも配布されている。
その後、流氷の到来することが稀になり、その役目を網走の「おーろら」に譲ることになる。

『流氷を見る船』チラシ/写真出典:定期船ブログ
「流氷イン宗谷海峡クルーズ」乗船券。船内では、ウイスキー・水割りやホットミルクがサービスされていた
ニッカ・ウイスキーの記念ポケットボトル、乗船パスポート、稚内駅の記念乗車券(硬券)。ウイスキーのポケットボトルを復刻させてはどうだろう。現在、利尻町で準備が進むウイスキーのポケットボトルを販売して、フェリー船上でチビチビやる。最北端の旅情を感じることができると思う。これオジサンの願い。
数年前まで「流氷を見る船」イラストが描かれたお菓子が販売されていた?現在も販売されている?
「第十宗谷丸」は、利礼航路退役後、海外へ売船され、現在は、「Gothong Southern Shipping Lines Incorporated」(フィリピン)で船名を「Dona Rita Sr.」と変えて活躍中

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・website idyllicocean
・定期船ブログ

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