見出し画像

試論② 新型コロナ戦時下における社会変化の予想から~人間の移動制限と経済

新型コロナの本当の意味での終息に長期間を要する場合には、社会経済システムや生活様式、生き方や価値観の変化が不可逆的に起きるかもしれない。
特に、人、モノ、金をグローバルにどんどん速く回し続けることが「経済成長」であるとする考え方が、新型コロナへの対策としての活動停止によって、その弱点をさらけだし、再考を迫られている。
すでに試論①での夢想だが、経済圏を縮小して、地産地消を、電子取引・スマホ決済を活用した「地域通貨」で支えて、経済システムを「分散化」する可能性に言及した。
逆に、ネット上の経済圏はさらに国際化して「ネット上の暗号通貨」によって、人間の欲求に関わる様々なデータがやりとりされることで新しい経済が生まれるだろう。そして、そのデータを生み出す個性はやはり分散化して存在するようになるだろう。
この国家が発行する通貨と、地域通貨、暗号通貨が争う形で、新しい社会システムへの移行が進むかもしれないが、そうなると「国家」とは何かという課題が表にでて、この先どうなるかは見えてこない。

とくに、日本など外国人観光客によるインバウンド経済の進展に、少子高齢化の時代の経済の牽引を期待していたが、この「人間の移動」がコロナ以後、感染拡大のリスクとなる。
今よりも厳しい検疫体制ができて、人間の移動は低調になるのではないだろうか。

各国に「小さな街」が存在して、日常生活はその経済圏で満たされつつ、人間の好奇心を満たすものはネット上のデータとして大量に供給され、消費されるようになるのではないか。
こうして、考えてみると、近年のSNSを通じた様々なコンテンツの創造活動と消費活動が新しい何かを生み出すことで、コロナ以後の世界を埋めていくようにも思えてくる。(日本は日本語の制約から多国語での発信を強めないとこの歩みに遅れるかもしれない)

物流は、コロナ後の社会では、「人間と言う脆弱な存在」がリスクとなるので、技術を駆使して自動化が図られていけば、データに付随してモノも動くようになり新しい経済が生まれていくだろう。

生活を維持するための「地域経済」と人類の好奇心を満たし喜びを創出するサービスが分離されていく。つまり、「インフラ」に属する経済活動はグローバル化せずに分散化するという合意がすすむことが期待される。

つまり、経済活動でも「インフラ」に分類されるものは特別な保護が必要になり、それ以外のものはもっとグローバルに競争していくという意味だ。

はたして、そんなことができるのだろうか。私たちの生活品は、世界各国で分業してつくられている。ここに書いたことは、まるで夢物語のように、今の私には思える。

ここから生まれてくる新しい価値観は、地域で支え合う「共助」であり、世界とつながっている「一体感」である。

試論①でも述べたが、「正当とされる国が発行する貨幣」がそれを許さない。私たちは巨大な経済のシステムにつながれてしまい、競争から降りるわけにはいかないのだ。

その意味で、今回のコロナ問題は、資本主義との闘いという様相を呈しているのだと考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?