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全裸監督 第13章 要約

第13章 ∞(村西とおるが保証した清水大敬組の制作費)

ダイヤモンド映像の拡大期、村西とおるは優秀な監督を専属にした。前章がAV女優のエピソードなら、本章は専属監督のエピソード。女優を専属にした先駆けの時もそうだったが、大事な視点はその待遇。当時のAV女優のギャラ相場が20万の時代に100万出したように、監督にも5倍以上出し始めたのである(監督のギャラも20万前後だったらしい)。それは単に羽振りが良いというより、業界全体の底上げ(層を厚くして質も高めていく経営レベルの福利厚生の一環だったのではないか)も意識していたのではないかと思わせる。随所に見られる村西とおるの仕事ぶりは異常を軽く通り越している。

ちなみに、ダイヤモンド映像の社長は、村西とおるが最初に就職したバー「どん底」で生姜焼き定食をおごってくれた先輩である。恩返しのつもりで社長に迎え入れたが、バブル崩壊と時を前後して裏切られる。新作を安く問屋へ横流しして自分の口座に振り込ませていたのである。ビックマンから発売された『すすり泣きの女』は、村西とおるが村西とおるを演じる異色のシリーズだが、この作品を通して、村西とおるの映像論・作品論になっている部分も面白い。

★伊勢鱗太朗(映画畑出身のAV監督。1980年代からAV女優を起用したドラマ物で頭角を出すも仕事に疲れ、下北沢でジャズバーを開きマスターに転身、AV監督からは身を引いていた)1989年、そのバーのマスターを口説きに来たのが村西とおる。監督料は今までの5倍以上、それだけではなく「ビックマン」「裸の王様」という2つの会社(レーベル?)のプロデューサーも任されることになった。
★清水大敬(明治大学文学部演劇学科卒。劇団をやりながら黒澤明監督「影武者」のオーディションに合格し、武田の騎馬武者/原昌胤(はらまさたね)役に抜擢。ただ、撮影中に落馬骨折し、後遺症で入退院を繰り返し、すっかり忘れ去られていた)生活の糧を得るため、男女の痴情のもつれから起きる事件を紹介するTV番組『ウィークエンダー』(懐かしい!)の再現ドラマに出演するようになり、その流れでピンク映画・AVにも出るようになっていた。面白い男優がいると村西とおるに紹介したのが著者の本橋信宏で、初対面で「監督をしてみませんか」となった。


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