「快」を上書きする
「快」と「記憶」
塗り替えられた「快」
何度話したとしても
相手の名前や顔が憶えられない
それは大人になってからも
治るとは限らなくて
「空氣が読めない」
と言われたり、
からかわれたり、
叱られたりしてしまう。
人は、
不快が続くと、
その感情に耐えられないから、
今の不快の状態を
「快」と思い込むことで
自分を納得させてしまう。
厄介なことに
人というのは、
ポジティブなことであろうとも、
慣れないことに対しては
恐怖を感じるように出来ていて、
慣れたことを一度
「快」と思い込んでしまうと
それは中々抜けないらしい
人の中には、
助けを求めることを
諦めることを「快」にすることで
生きて来た人も居るし、
恐怖を手放す為に
「忘れる」という選択を
選ぶこともあるのではないだろうか?
ホンモノの「快」を取り戻せ
何のために生きるのか?
なんて、
正直…どうでも良くて、
それよりも早期から
「快」を学ぶことが
重要だと思っている。
わたしは子どものオムツを
割と頻回に換える
少しでも濡れると
その後の学びが遅れることに
繋がると思っている
実は以前、
オムツを頻回に換えていたら
「換え過ぎ」を指摘されたこともある
想像してみて欲しい
オムツがびしょ濡れで
座った瞬間滲み出て肌にあたる感覚
これは不快では無いのだろうか?
その時のわたしは、
「明日からお兄ちゃん(お姉ちゃん)
パンツにしよう!」
と伝えることにした。
家族によっては
経済状況の厳しさから
オムツを換え渋るケースも存在する
ならば…より「快」で
上書きしてみようと考えたのだ!
私のエゴ?
子どもというのは
成長したがる生き物だと
思っている
成長スピードは早いのに、
子どものままにしたがっているのは
親の方であることもある
確かに、
大人になることを急ぐ必要はない
その考え方も一理あるとは思う
しかしながら昨今、
身体の成長に
心が伴っていない子は多い
集団で居ると
その違いは謙虚に現れており、
少数派故の
過保護・過干渉は
行き過ぎると、
現状把握の誤解を生み、
その事実は
いまでなく
ミライに結果として現れてしまう
個別に関わるには
人員が足りなかったり、
時期によれば
大掛かりな選択肢を
取られかねないこともある
集団に入れば
煙たがられる存在となり、
やがてはそれが、
「空氣が読めない存在」として
片付けられてしまうミライを招く
そしてその子は大人になり、
氣が付けば
得体のしれない不完全な
粒状のお守りを手渡される
エゴかもしれないけれど、
わたしはその手前で
止められないか?と思っていて、
判断と失敗の機会を増やし、
少しでも早く!
自ら考え、行動し、
そして
自分の意志で選択する為にも、
その子の成長する時期を
見逃さないように
進めて行きたいと思っている
クリティカルシンキング
自信はつくられる
布パンツにすると、
最初は沢山失敗する
失敗を叱るのではなく、
コレが「不快」であると知り、
じゃ、オムツでいることが
果たして「快」なのだろうかと
と考えてみる機会をつくる
先ず「前提条件から疑う」ことを
親子支援者共に
学ぶ時間が自然と出来てくる
集団保育の中では、
布パンツで既に過ごしている
子や親に憧れたり、
体感的な
ムレや冷たさからの解放を
自然と学んで行く
そこに強制力はなく、
本人の気持ちに慣れておらず、
オムツが「快」ならオムツにするし、
そうでないとするなら、
自然と身体が「快」を求めれば
機能は自然と伴って行くもので、
それらは
精神や心ではなく
身体(本能)が選んで先導する
失敗の回数が
自然と減って来たことに
気が付いた頃には
排泄コントロールは
完全に出来ており、
この基礎を「快」として
育んだ経験をする為にも
失敗を叱るのではなく、
共に受け止め、向き合うことで、
それらは「経験」となり、
乗り越えられれば
成功体験という
「経験値」(失敗耐性)となり、
それが積み上がることを
「快」として行くことが
ミライへの「糧」になって行く
失敗は糧にすれば「快」となる
失敗は叱られるのではなく
報告し合い
改善するものだと、
幼少期の心に
「快」として刻み込まれていれば
抜くことは難しい。
将来に対して
悲観的になる時期はやってくる
かもしれない
思春期に伴う
ホルモンバランスの乱れは
必ず起こるものだから
しかしながら
根本的に失敗を乗り越えたことを
「快」に出来ている人たちならば、
どうだろうか?
失敗を回避して来た
圧倒的に失敗耐性も少ない子の
思春期とは違ってくるのではないだろうか?
冒頭に話した
空氣の読めない子というのは
わたし自身が言われて来たこと。
いまでは保育者となり、
散々失敗して行く中で
幼い頃の自分とも向き合う中、
思春期には
落ち込むことの方が多かったが、
40代手前で
子どもたちと共に
過ごして行く中で、
間違っても良い
失敗を恐れずに立ち上がる
子どもたちの姿から、
勘違いしていた「快」に
氣付く機会を持つことが出来た!
そしていま、
過去の誤学習していた
「快」は上書きされたのだと思う
「快」を上書きする
わたしは50年近くかけて
上書きすることになったけれど、
幼少期になら
もう少し早く簡単に
上書きは出来ると信じているし、
基本ベースの「快」が
心地良く刻まれたものであるなら
抜け難いのだから、
だったら出来る限り
幼少期に
失敗から立ち直る経験値を貯め、
その経験を「快」として刻む方が
圧倒的に早いのではないだろうか?
ただ、
その時期を逃したじぶんに
氣が付けたのなら、
「快」を少しずつ
上書き保存は出来る
ただし、
時間は掛かるということも
わかったので、
多くの方に
この思いを伝えたいと思う
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