#11 谷川ナナシその後の「望み」
読者を増やそうと努力している、
とは言えないこのnote。
読みたいと思われる事や、
読んで1つのヒントになる事、
その他さまざまなモノサシにおいて、
需要がないとしても、
谷川ナナシは自分の必要の為に、
望んでnote投稿をつづける。
先日、自分のよくないところが
大放出する事があり、
谷川が渇き、欲し、望んでいるものが
明らかになった。
谷川は、自分の言葉を見聞きしてくれた誰かに、
「ほんとうの関心」を向けられたい。
そう感じたい。
望んで出向いた場所で、歓迎されたい。
理解したい気持ち以上に、理解して貰いたい。
理解できる話をしている人だと、
自分で思いたいから、人からも理解したと
言われたい。そして、
理解し合い、親しみを感じ合いたい。
それらにおいて、
もう六年半、ひとつまみ位の人を除いては、
満たされず、寂しさを感じ、虚しかった。
ある「回復のプログラム」において、
スポンサーシップと言って、
プログラムに誰かと取り組んだ人が、
これから初めて取り組む人と、
主従関係のようにして二人で取り組む方法が
継承されてきた。
私は、スポンサーシップでなくとも
取り組む事は可能と主張しているが、
どうしてそれが望ましいかは、よく分かる。
ひとりよがりにならない重要性はもちろん、
このプログラムは他者の「承認」と「労り」が
必要なのだ。
過剰な承認欲求は、抑制が求められるが、
「自分の欠点だけを見つめる」事や
「神さまを信じて、常に成り行きに任せる」事に
主軸がおかれるのは、人として容易ではない。
本当にそれが出来ているかジャッジする者、
どれほど骨の折れる行為かを知り、
「よくやっているよ」と伝える者がいてこそ、
無理なく信じる心で継続していける。
つまり、ひとりで6年半取り組んだわたしは、
なかなか「よくやってきた」のだ。
それでもまだ、渇きは無くならない。
それを見て見ぬ振りもできるが、
できない日もあり、あるいは、
渇きを突然に起こす気温上昇も、時にある。
人の目に入る、ここのようなアプリを
利用していると、望みを得るには
「柔軟な、いくつものスキル」
を知ろうと努める事が、
大事なのだろうと思う。
ほんとうの関心を、向けられたい。
歓迎され、親しまれたい。
自分が理解して言葉にしていると、
人から理解されたい。
その実感に向かって、
渇いたり潤したりしながら、
今後も休み休み邁進する。