オタクの声が大きくなることは幸せにつながるのか?

・2020/02/19(31日目)。

・最近日記に書く内容ないなって思ってるんですけど、それは多分部活始まったからなんですよね。

・1日のうちに1個しか予定入れたくないからそれが部活で埋まっちゃうんですよね。朝の日と夕方の日があって、朝の日なら午前で満足して昼寝しちゃうし、夕方ならそれに備えて午前はゆっくりしちゃう。

・ちなみに今日は朝でした。なので午後は寝て過ごしました。我ながら実に理論的だなぁ。

・というわけでまたTwitterで見た話します。最近気になっているトピックは「ラブライブ」が聖地である「沼津」で町おこしで起用されたら、何やらスカートのシワが性的で良くない、などという理由でクレームが入り、撤去されてしまい、それに対する反対署名がTwitter上で一大ムーブメントを起こしているということである。

・まず、前提として「自分はオタクである」、「自分はラブライブには一切興味はない」、「沼津にも一切かかわりがない」という立場である。そしてTwitter上で一大ムーブメントを起こしていると言ったが、Twitterと世論が時と場合により大きく乖離しうることを把握している。

・その上での自分のスタンスはタイトル通り「オタクの声が大きくなることは幸せにつながるのか?」である。

・補足しよう。説明の便宜上、「非オタクサイド」「オタクサイド」という表現を使用する。

・まず、今回の出来事において非オタクサイドの人は主に「キャラクターが性的な格好をしている」「公共性の高いコラボで性的な格好をしたキャラクターが扱われているのは不適切だ」という主張をしている。

・対してオタクサイドは「表現の自由だ」「これは性的な格好ではない」「そういう発想に至ること自体が変態」「○○の作品は大丈夫なのにこれだけ問題視するのか」「今回のコラボに関する消費に関与しない人間の発言は取り上げるに値しない」「沼津では前々からラブライブのコラボが行われてきたのでもはや老若男女に受け入れられている」などの反論をしている。

・これを書くにあたってTwitterでお気持ちを収集し、両者の意見を読んでまとめたが、このような状態である。ちなみにオタクサイドの意見のほうが多いのはTwitterにはそっちサイドの人のほうが多かったからである。

・要するに、両者の意見は根底から違っていて、それをお互いがお互いを理解しようとしていないので一向に歩み寄れないのである。

・そこで自分のスタンス、「オタクの声が大きくなることは幸せにつながるのか?」にもどる。

・最近はオタクも市民権を得て割といろいろなところでアニメや漫画とコラボしたものを見るようになった。

・その結果今回のような事態が起こることがある。他にもそのアニメ自体に良いい感情を持っていない人や、そもそもアニメ、主に深夜アニメに分類されるようなコンテンツ自体に良い感情を持っていない人で、大きく発信しなくとも少し不快な思いをしている人も少なからず存在する。

・要するにオタクの声が大きくなり、オタクコンテンツと非オタクコンテンツのコラボが実現した結果、圧倒的に損をしている人のほうが多いのである。

・そこまでしてオタクのコンテンツを他所にまで広げる必要性が果たしてあるのか、というのが自分には疑問である。まだオタクの一般認知度が低かった頃の所謂「自分だけが知っている○○の魅力を密かに愛でる」という楽しみ方をしていた頃の方が、より良く住み分けが出来ていて良かったのではないか、という思いが常にある。

・恐らくこの意見は客観的にみると時代の流れに取り残された古いオタクの意見でしかなく、この意見と裏腹にもっとあらゆるところでオタクコンテンツを見るようになっていくことだろう。

・それが果たしてどうなっていくのか。案外早く受け入れられるようになるのか。はたまた今のようないたちごっこがいつまでも続くのか。自分としてはこのまま中立の立場で見守り続けていく所存である。








#日記

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