どうしようもない奴

全部秘密ね



どうしようもない奴
                                                                               

僕の足首の内側から外側にかけて山を登っているつもりなのだろうか。手助けをしてあげたいれけどおまえから見た僕の手は、「あ、終わった」とただ絶望を予感させる物。そうだね、つぶしてしまうだろう。きっと一生懸命。                     




今日も予備校を休んだ。いいえ。サボりました。                              そんな僕のサボってやっていることはバスに終点まで乗り、降りた知らない場所を散歩しながらバス停を探し、また終点まで乗る。これを四時間ほど繰り返す。楽しい。


美大受験予備校に行きはじめて3年目。
そんな僕は一週間毎日きちんと予備校に行けたことがほとんどない。一ヶ月はない。ほとんどないというのは、週三で四時間の遅刻はするし、ギリギリ間に合った日は楽しくないというだけで生徒のいない階に逃げ大の字で寝転がり天井を見つめる。床が冷たくて気持ちがいい。バスに揺られている時も、天井を見つめる時も、頭の中は過去を思い出す。それは、直近のことでも、昔のことでも、いつも悲しい思い出。


とにかくストレスに弱い僕は保健室の常連だった。                            「しょっちゅうお前いるやん。」                                       学校が原因でお腹が痛くなることはわかってたけど、ストレスなんて言葉は知らなかった。学校の何がそこまでつらかったのか。まずそこまで考えたことなんてなかった。ただ漠然と「行きたくねー」              先生からは                                              「またあなた、」                                          「熱ないんだからもう少し頑張ろうね」                                 「みんな頑張っているからね」                                         「寝る所じゃないからね」                                           友達からのだんだんめんどくさそうになる                                       「だいじょうぶー?」                                          「ほけんしついってきー」                                        そうすると本当はお腹なんて痛くなくて僕はみんなに心配してもらいたくてそう思うあまり痛い気がしてるだけなんだ、と思うようにした。お腹が痛い自分は嘘だと信じた。そうやって罪悪感を抱えないと悲しくて仕方がなかった。一日に休めるのは二時間で、それでも治らないと言えば帰れることは知っていた。けれど忙しい親に迎えに来てもらいそこで嘘だと思っているであろう雰囲気、空気、声色、動作、表情、それらを感じてしまったらと思うと恐ろしかった。朝の歌の時間に口パクをしながら、今日は何時間目に行こうか。                     そんな何かに一生懸命な自分が今、嫌いだ。


学童保育に通ってた。学童内で仲の良かった友達数人と帰り道が一緒だった。僕以外の友達はみんな家同士が近くみんなの家の帰り道に僕の家があったためいつも途中でバイバイだった。仕事終わりのお母さんは閉園時間ギリギリだったり、過ぎてたり、保育園で先生と2人きりで待っている妹のお迎えに「いつもすみません」「ごめんね〜、急いでご飯の準備するね」そんなお母さんを知っていた。迎えを待つたび寂しい気持ちになっていた妹も知っていた。家族の中で一番先に帰ってくる僕は、お風呂掃除をして、外が暗くなっても家の電気をつけず、テレビの光だけを見つめてた。そうやって帰ってきたお母さんと妹の目の前に現れる。                           ほんと、なんて野郎だ。                                             お母さんは僕を抱きしめて、僕を褒めて、僕に謝る。そうしてくれることが、違う。そうさせてた。それが愛だと。
ある時、普段一緒に帰っている友達の中の1人のお母さんが学童終わり迎えに来ていた。僕以外のみんなを乗せて帰って行った。それからよく迎えに来るようになり、1人で帰ることが当たり前になった。いつものようにみんなが車に乗っている                                               「なんかきょうさむいけんおくろうかってーのるー?」                              断った。帰って泣きながらそれでもいつものように愛される準備をした。                   その後日、休日。妹と夜ご飯を食べている時、キッチンに立っているはずの両親の方から震えた声が聞こえた。お母さんはうずくまって泣いていた。お父さんが背中をさすってた。                                                                     ︎   ︎ ︎︎「頑張ってるよ、頑張りすぎよ、だいじょぶよ、ごめんね」︎︎                                                                                        お父さんは悲しそうで一生懸命に見えた。妹と近寄ると ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎   ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎「だいじょうぶよ、ご飯食べよっていいよ」︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎                                                
とお父さん。なんとなくお母さんに近寄っちゃいけないきがした。はじめてお母さんの泣いてるところを見た。同時に僕のせいだと思った。ずっと感じてた罪悪感。なんて言葉じゃぬるい感情。
そんな人間。


中学生、集団の中で生活することがストレスだと気づいた。同時に、みんなそうやって過ごしていて、それが当たり前なのに。と納得できない言い聞かせを自分に。ここでも常連だった。僕の地元は小学校から中学校は人がほとんど変わらない。みんながみんなを知っていて、みんながみんなとある程度のともだもだちのように見えていた。その小さなコミュニティも苦しかったのかもしれない。                                    同性を好きになった。異性を好きになった。非難される対象を好きになった。性別、年齢が人を好きになる上で関係がなかった。その時好きだった同性の友達に                                   「知り合いが同性愛者なんだけど、もしそういう人が自分のこと好きって気付いたらきついもんかねー」        「ちょっと、いや、きついかな、やっぱ同性の友達からそう見られとるってしんどくね」            と笑ってた。                                              僕はね。                                                \どう思う?                                              そんな聞き方してもLGBTをよく聞くこの世の中で、多様性という言葉に怯えるこの世の中で、いいと思う!別に気にしない!は、もはや正解とされてしまったように感じる。そんな正解になった言葉を誇らしく語ってた友達が肩を組んでこなくなった時から、わかってたつもりだったこと気がついても誰を責めることもできない。こんなふうに生きている自分が憎い。性自認、性的嗜好、性的指向、あらゆるマイノリティ、マジョリティが平らな状態になればいいのに。「受け入れられない」は悪なんかじゃない。間違いなんかじゃない。マイノリティとされる人々が軽視される言動に対し声を上げることも間違いなんかじゃない。ただ、受け入れなくちゃいけない感がなんとも悲しくて。間違いじゃない、悪じゃない。                                                正解じゃない。                                                   知ること理解することは視野を広げることができる。納得は求めるべきではない気がするよ。そんなことを考えるけれど、マイノリティ側に今いる僕が全てを肯定しようとすることは信憑性にかける?説得力ない?そして偽善?    
わかってたつもりでも受け入れられない声は傷がつくようで。結局、好きでもなにでもなかった。好きを知らないままだった。性的に見てただけ。性欲だった。そういう目だった。だからこそあった罪悪感、全部一致した。最悪だった。当時の僕は気づいてたのかな?気づいてたけど気づいてないふりをしていたのかな?ねえ


多感に過ごしながら3年生になった時、とうとう吐血するようになった。わかりやすい自分のからだに安心。そして嫌悪感。受験への不安より中学校の四倍以上の人数規模の高校へ心配。その時には受験で通信制に行きたいなんて今更言えなかった。周りの反応は、「がんばれ」だったし。そんな僕自身もみんなと同じ道に行かないといけないと思ってた。時のせいにしたけど、結局勇気がなかった。
高校生になってしまった。入学式の日、ゲロを吐いた。どういう感情の動きでそうなったかは覚えてないけど、辞めようと思った。もちろん簡単なことではないし自分の選択に罪悪感もあったわけで。だけど、周りからの反対意見を聞いて傷つくのが怖くて。頑張ったねって思われたい。一年間だけ行こうと決めた。そうすれば、「本当はずっと辞めたかった。」「辛かった。」                                                               ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎                                                   「一年間頑張ったね」                   ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎︎︎                                                                            そう言ってもらえると思ったから。浅はかな感情をふらませながら過ごした。
友達に、「我喜屋って面白いぐらいADHDよね」と言われた。調べていった時にいろんな症状、病気、障害、この中で僕につく名前があればお腹の痛さが消えることとかないかな。あれだけマイノリティに思うことがあるのに結局僕は何かの型にはまって楽になりたいだけ。悔しくて醜い。                   ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎︎︎                                                                             ︎︎︎この一年間は、休み時間のたび友達の課題を写してた記憶しかない。もちろんここでも常連だった。
中学の時の美術の先生が好きだった。少し口が悪くて、道徳的なことを押し付けないところが本当にありがたかった。先生の話す芸術の世界は広かった。大学はいろんな人がいて、いろんな感情を芸術として表現する美大は我喜屋さんみたいな人もいると思うよ。希望というと胡散臭く感じるけど、マジ希望だった。先生の紹介で先生が通ってて講師もしていた予備校に放課後行きはじめた。絵を描くことは楽しかった。
高校を辞めてから、予備校の昼間部、浪人生のいる平日昼間の時間帯に通った。絵を描くことは僕にとって戦ってる気分だけど、快感だった。時計の秒針がやたらと深く脳みそに入ってきて、視界が陽炎のようにゆらゆら、焦点が合わなくて時に吐き気が襲う。頭の中のものがうまく表現できなくてもどかしくて、もどかしくて、もどかしくて、耐えた先はたった数ミリの進捗で。作業しながらずっと僕は何かについて考えていた。色んな事が同時に早すぎるスピードで頭の中に流れて、苦しくて切ない感情と楽しかった思い出が交差して顔に笑みがこぼれている。(らしい)そして涙が流れる。ふとした時我に返って思い出そうとしても考えていたことは少ししか思い出せなくて、それは寂しく感じる。この状況を客観視すると、なんかすごーーいたたまれない気持ちになるけれどどんな時よりも楽だった。承認欲求が強く、認めて欲しい褒めてほしいが常にあるからなのか。これが僕の絵を描いている理由。
どうしてこんなに寂しいんだろう。


帰り道にある長い坂に沿って置かれているレンガの上に一列に並んで落ちたら後ろに並びなおすってゲーム。あれ楽しかった。僕が修学旅行の実行委員長やったのは全員が謎に思ったやろうな。辞めて今でも遊んでくれる友達。すごく楽しい。 ︎︎家族は愛情をくれる。                                                                            

︎︎︎                                                                            楽しい思い出も嬉しかった思い出も、大好きで支えてくれた友達だって家族だってたくさんたくさん存在するのに、いつもバスに揺られて、天井を見つめて、そうやって過去を思い出す癖。振り返ることはこんなことばっかり。そうやって誰かを否定して自分を正当化するのにいったん自責。また被害者ぶって。こんな人間嫌いだ。矛盾。矛盾ばっかり。いつも変わらない日常を鬱陶しく思い逃げては過去を振り返って自己嫌悪に陥る。その時の感情を言葉としてあてはめることが少しづつできるようになった今、ほんとどうしようもない。
おもしろおかしく、楽観的にユーモアを交えて表現してみちゃったり、、、無理無理。誰も傷つけるつもりなんてない。悲観的に何事もとらえてしまうし厨二病気質のこの性格のおかげで随分自分に嫌気のさすものができてしまいました。大事にしたいものでさえよく分からなくなるこの世の中で、僕は何を愛として何に救って貰えばいいのですか。縋って生きていたいです。
「そこまで考えなくていいんだよ」︎︎                                                                            

︎︎︎                                                                             ︎︎︎「考えすぎ」︎︎                                                                            

︎︎︎                                                                           「生きずらそう」︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎

︎「めんどくせー(笑)」︎︎                                                                            

︎︎︎                                                                          「大丈夫って!」


「うるせえ!!!!!!」



ほら、感じたこと考えたこと。ちょっと気持ちが動いた時。そういうものを大事にしてみようと思い、見返した時くだらなさにちょっと元気をもらえたらラッキーと思い、最近メモをするようにしました。                                   抜粋をどうぞ。


バスでニモカがうまく反応しなくて後ろに人を待たせてる時があった時からバスに乗るたび、降りるタイミングの度、思い出して、想像して、ちょっと緊張。

バイトで、刺身盛りをお客さんの膝に落として、それから刺身盛りを持って行く度、思い出して、想像して。ちょっと緊張。

僕の一番イキイキしてる瞬間。シフトボードに入力して給料をだす時。

赤い眼鏡をかけた人。Wiiで作ってた人のやつを思い出す。

すみません。っていうの、ちょっと勇気いる。いや、だいぶ。

空間現代に誰の声が入ったら気持ちいだろうか。ううん。入らない良さだね。

タバコを吸うとやる気がなくなる。気がするだけ。

〜ティックってワードエロい。エロティックから感じてるだけ?

悪徳屋のジジイと酒を飲みながら、エゴイズムとドメスティックバイオレンス、セックス。僕の名前いつになったら覚えてくれるん。

いや覚えられないありがたさも勝手に感じちゃってるんよな。

ジジイ、君と僕のセックスの相性はこの本によると二位だ。って。多分これがセクハラ?

トイレに行きたい欲=便意。尿意。意。。。。

降りたいバス停の一停前で隣に人が座った時。すみませんっていわなきゃ。










蟻。助けてやれないけど、右足に全てを集中させて応援してるから。













誘われて書いた友達の作ったZINEに載せてもらっている私の日常。ここに残します。当時の私よりも、これを書いた時の私よりも、いまが幸せかと問われると決して簡単に頷くことはできないけど、私はずっとこんな感じだと思う。それでも大好きな人達は増えている。恋も愛も優しさも醜さも分からないことも、分かる。それは私が生きてるってことだと信じてる

読みにくいわあ

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