人の数だけ世界がある
1つの出来事に対する受け止め方は、人それぞれ。
微笑ましい一コマにも、様々な想いが向けられます。
最近、出勤時間が遅くなったため、朝、小学校の集団登校の列に会うようになりました。
今朝も、地元の小学生が先生の誘導の元、元気に横断歩道を渡っていました。
渡り終わるのを眺めながら待つ、車や自転車。
無関心の人、笑顔で挨拶する人、何となくイライラしている人。様々です。
皆んなそれぞれの理由があるのでしょう。
私は、馴染みの校章を見て、やっぱり泣けてきます。
我が子は、最後まで集団登校できずに、親子で登校していました。その時のなんとも言えない感情が、記憶の中から湧いてきます。
あぁ、この子には一緒に通学出来る、してくれる友達は出来ないのかな…。でも、私がこの世にいる限り、いや、いなくなってからも何とか人生を真っ当できるように頑張るから、と強く思っていた日々。
そして、その子がもう居ない現実。
それでもやっぱり児童たちは微笑ましい。
笑顔で挨拶しようかな。
ちょっとだけ顔が引きつっていたかもしれない。
色々な気持ちが溢れてきました。
人それぞれ。
この出来事は、嬉しいよね!
この出来事は、悲しいよね…
人は、自分の感情のあり様が、全ての人に適用されると思い込んでしまう。
こう思うのが、普通だよね?
これは、普通はこうだよね?
小学生の列を見れば、普通は微笑ましい気持ちになるよね? あぁ、そうだね、ふつうはね。
普通は、と言いはじめたら要注意。
自分にとっての普通は、他人には通じませんから。
必要以上に気を遣わなくても良い。
だって、気を遣っても外れることが大半だから。
でも、相手がやる事に何故そんなことをと腹を立てること、これも意味が無いですね。
人の数だけ世界があり、
世界の数だけ普通がある。
そう思えれば、気が楽になりますね。
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