メタ認知と愛着について

スタッフからメタ認知と愛着について質問がありました。愛着は愛情と混同されがちで子育て中の方にとってはときにプレッシャーとなることもあるようです。

私なりに考えをまとめてみました。


まず「愛着形成不全は必ずしも愛情不足が理由ではない。」ということを理解していただけたらと思います。
ですから愛着とメタ認知の関係で言うと、メタ認知の誤差によって生まれた愛着不安が自己を正しく認知することを困難にすることがある、と言えると思います。

はじめに、メタ認知とは自分の行動や考え方を客観的に捉え直し、自分の行動や考え方を規定していく認知能力のことです。

例えばリンゴを見たときに、「リンゴだ!美味しそう!」と考えた自分がいたとしたとして、さらにもう一度

「あれ?でも本当に美味しいのか?」
「美味しそうと思っただけで見た目に騙されてないか?」
「さっき夕飯を食べたばかりなのにまだ食べられるのか?」
「買って消費するだけの財力はあるのか?」
「美味しそうと思っただけで食べたいのとは違うのではないか?」

といったように、自分の判断にいったん客観性を持たせます。
そうすることで冷静に対象を見つめることになるので、主観的な感情やその瞬間の欲求だけで行動するのでなく客観的な要素も含めて判断することができるようになります。

これをさらに仕事や自己のメタ認知に高めていくと
「自分の作業能力は○○さんに比べて遅いが、△△さんに比べると速い。平均的かな。」
「新しいことを考えるのは苦手だと思ってたけど、身近な課題を考えたことが無かったな。ちょっと目を向けて考えてみようか。」
「自分は新人だから今は先輩の言うことをよく聞いていこう。」
になります。

僕の場合で言えば「本を読む時間が減ったので少し読む時間をとろう。」
「夜21時以降にコンビニに行くと夜食がかさばってお腹が膨れるので、21時以降にコンビニに行くのをやめよう。」
「仕事ばっかりだったけど全然自分を労われていないから、労わる時間を持とう。」とかですね。

続いて感情や性格のメタ認知になると
「今は○○だからイライラしている」
「気が長いほうだと思ってたけど客観的には気が長いようには見えないらしい。」
「自分のずぼらなところが出てしまったことが理由で仕事がおろそかになったのだろう。」

などです。

よく言えば、自己のメタ認知を建設的に行うことで自分の行動や考え方を改善し成長させていくことができるのがメタ認知です。

こうした自己のメタ認知は必ずしも絶対的ではなく、自分の考え方と客観的にみられている自分や自分に対する考え方とは普通ずれがあります。このずれを補正することでメタ認知能力の精度は高まりますし、補正しなければメタ認知能力は固着し徐々に判断や行動が自己中心的になります。
だからといって一方的に他者からみた自分だけを尊重しすぎると本来自分がありたい姿を見失ってしまいます。このずれを一致させる順序としては
「こうありたいという自己像の想像」→「近づくための手立て・方法の計画・実行」→「周囲から見た自己像の確認・一致」→「投影し自己を変容させる」 となると思います。


これらが愛着と関係があるとするのは、このずれを補正できるかどうか、という点にあると考えられます。
幼い頃の親の『あんたなんてどうせなにやったってできないんだからさ』という一言が理由で常に自分の能力を低く見積もるとか、「あなたは本当に天才!誰もあなたに敵わないよ!」と言われ続ければ、過剰に自己の能力を高く見積もり、いざというとき立ちはだかる壁(相手)に対して極端に不快感を示し、逃避・破壊といった行動にもつながる可能性があります。
そうした言動はその頻度や場面といった偶然の要因によってインパクトの大きい出来事として記憶されることがあります。
例えば学校で友達と喧嘩して帰った。母親に話を聞いてもらいたかったのにそのとき「今はあんたの話はどうでもいい!」と言われれば「誰も話を聞いてくれないんだ。」という記憶が、その後の生活全体に影響を及ぼして「周りは誰も自分の話を聞いてくれない。」という考えに至ることがあります。
しかし実際はそれまで親身に聞いてくれたこともあった、他の友達で聞いてくれる人もいた、そのときたまたま母親が忙しかったのかもしれない。
こうして本来考慮すべき事態を考慮せずにいることで、その後の自分の思考を規定すると生涯にわたって「誰も自分の話なんて興味ないよ。」となる。

年齢的・環境的側面をみると愛着を受けて育っていると考えられるはずの子たちが、どうしても捨てきれない言動や記憶によって自分の客観性にずれを持たせてしまうのです。
どんな要因にしろ、こうして思考によって「自分は愛されていないんだ。」と考えることが常となると、愛されていない自分を認知するようになります。
ただ、このメタ認知を肯定的に活用すると愛着を別な形で受け入れることもできるようになります。
それが他者との関りによって自分に対する愛着のメタ認知を変化させられる理由です。
「残念ながら自分の家庭はお世辞にも恵まれていたとは言えない。でも、○○さんはいつもそんな自分に対して優しくしてくれたし話も聞いてくれた。そのおかげで今の自分がある。だから家族からは愛されたと思ったことはないけれど、決して自分に愛情が欠けているとは思わない。」
これでこの人の「自分には愛する力がちゃんとある。なぜなら○○さんに愛されていたから。」というメタ認知が完成します。
他者による愛着がメタ認知を肯定的にし、その後の自分の考え方を規定する例です。

おしまい

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