私の夢

「志同じ者と共に,個々の可能性を見出せる“学校”を作る」
それが私の夢です。

当然のことですが,人の「当たり前」は後天的に作られるものです。生まれてからこれまで見てきた,聞いてきた,教わってきたことがその人の「当たり前」として確立し,その「当たり前」に基づいて人は行動選択します。生まれた国の違いによる「当たり前」は,文化の違いとして解釈され,その違いを理解していきます。それが,グローバル化した今の世の中です。

ところが,日本国内に限定するとその違いは理解されません。“多様性”や“個性”などといったキーワードは多くの場所で拝見されるようになり,理解する雰囲気だけはありますが,実際のところは「当たり前」に引き戻そうとする力が強く,持論を展開する個性的な人間は,協調性がない者として敬遠されがちです。

私はその原因を作っているのが,教育だと思っています。日本の義務教育制度の始まりは明治時代であり,富国強兵政策が背景にあります。そこからマイナーチェンジを繰り返してきて今の教育があります。つまり,学校は国にとって都合の良い「当たり前」を植え付け,使いやすい労働者を生産する工場という本質を未だに持ち合わせているということになります。

私は現役の高校教員ですが,もちろんそんな意識を持って,生徒と向き合っている教員はいません。多くの教員が,目の前の生徒の今の,将来の幸せを願って日々一生懸命に教育しています。しかし,その教員もまた都合の良い「当たり前」を植え付けられた日本国民なのです。むしろ私を含めその教育に恩恵を感じてきたからこそ,教員を志したわけで,特にそこに疑問を抱いていない日本人ということになります。

そういった考え方に出会い,たどり着き,私自身の教員人生を振り返った時に,これではダメだと思いました。生徒の可能性を最大限に引き出そうと努力してきた過去が,全てとは言わずとも一部,生徒の可能性を潰してきた過去に見えてきてしまいました。そして,その教育は現在進行形で,全国の学校で悪気なく,むしろ強い正義感を持って行われているのではないでしょうか。

だから私は学校を作りたい。これからの時代の「当たり前」を自分たち自身で考えていけるような学校を作りたい。


この夢が少しでも具体的に動き出した時,このnoteを本名で公開しよう。それまではひっそりと書き続けることにします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?