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【1章公開】『超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論』(著ふみくん・イラスト谷端実)

コロナの世界的流行によりこれまでの「当たり前」が足元から崩れ去り、
自分にとっての幸せとは何なのかを皆が再考するきっかけとなりました。

本書は日刊 SPA!記事にて「新型ヒモ男」として話題になった「ふみくん」のゆる幸福論を、恋愛・人間関係・仕事・生き方で紹介したものです。

「普通」や「常識」、他人の視線を「普通」や「常識」、他人の視線を気にしない、自分の幸せを自分軸で考えるための本、『超プロヒモ理論』。
はじめにと1章を書籍そのままで公開します。


はじめに〜ヒモのいいわけ〜

 得体の知れぬヒモの生態に関心を持っていただいたのか、はたまたなにかイジワルなことをいってやろうと思ったか。
 その動機こそわかりませんが、この本を手に取り「はじめに」を開いていただいたわけですよね……。
 この時点で(時間のあり余る)僕は一人一人とカンパイしたいほど、ありがたいやら気恥ずかしいやら、かたじけない気持ちでいっぱいです。
 いずれにせよ、なにかしら興味を持ち目に留めていただいたことには感謝しかありません。
 感謝をしているからこそ、読み進めるまえに本全体のいいわけをさせていただきたいです。
 この本はザックリいうと、
「なぜ僕がヒモ生活を送れているか」
「ヒモは恋愛や人間関係や仕事や社会をどう考えているのか」
 について、これまでの生活や半生的なものまで引っぱり出し、持論を展開したエッセイです。
 一般的にこのような読みものは「なにか大きなことを成し遂げた」人物が書いてこそ含蓄があるというもの。ですが、この本の著者はなにも成し遂げていません。
 書店に置かれているどの本よりも「なにも生産的なことをしてこなかったやつが書いた本」であることに間違いはありません。それでも、あまりに生産性がないにもかかわらずいまなんとか生きているからこそいえることもあると信じてこの本を書きました。
 タイトルも、いま一度確認してください。
『超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論』です。 いかにも恋愛でのコミュニケーション術やヒモになるためのノウハウが書かれていそうですが、この本はノウハウ本ではありません。
 飼い主の見極め方や恋愛の悩み相談こそ書いていますが……「はじめに」をいいわけに使うヒモがモテるわけないのです。
「ヒモのくせに!」「うるせえ! 働け!」「早稲田まで出してもらったのに何事だ!」といった感想を持たれる方も多いと思います。
 どんな感想を持っていただいてももちろんかまいませんし、いいわけもとどまるところを知りませんが……これには別の思惑もあります。
 タイトルに「逃げきり幸福論」とあるとおり、僕はここまで目先のすべての選択肢を「楽か楽じゃないか」のみで判断、嫌なことすべてから逃げつづけいまも寄生生活を送っているヒモです。
 同棲相手の下の立場へ潜りに潜りこみ、胞子菌のようにパラサイトをくりかえしてきた僕はもとよりプライドも皆無。
 本を書いた主なモチベーションは「こんな情けないやつでも生きてるんだから自分は大丈夫!」と思っていただくことにあるのです。
「逃げきり幸福論」とはずいぶん大げさですが、僕も書くからにはあの手この手のハッタリを駆使し、「思うところある」内容に仕上げたつもりです。
 なにか一文でも発見があれば都合よく解釈し、明日の辛い登校や出社をサボるきっかけにしていただけたら嬉しいです。


Chapter1  職業、プロヒモ。謎の生態があきらかに

1プロヒモとはなに?自分でもよくわからない

 浮かせた家賃は1000万円超。衣服などの生活必需品から仕事で使うパソコン、ゲーム機の娯楽品に至るまで、そのほとんどは女性からのもらいもの。
 僕は人生で一度も会社に勤めたことがなく、早稲田大学在学中からこれまでずっと女性に助けられて生きながらえてきた「ヒモ」です。
 しかも「お前の生活態度はクズだから特集を組もう」と知り合いのライターさんにいわれてはじめて「ヒモ」を自覚したので、いわば「ナチュラルボーンヒモ」、よりタチの悪いヒモでもあるのでしょう。
 そのライターさんが書いてくれた僕のヒモ生活の記事がYahoo!ニュースで発表され、どんな罵詈雑言が浴びせられているのか、おそるおそるコメント欄をのぞいたら、
「こいつはヒモとは呼べない」
「これは主夫」
 など、予想に反して肯定的なコメントが多く、僕はますます自分が何者なのか混乱することになりました。
 ヒモになった経緯やなぜ彼女が変わってもヒモ生活を送ることができるのか、これまでの例も出しつつ長い自己紹介をしようと考えているのですが……。
 そもそも「ヒモ」とは、「プロヒモ」とはいったいなんでしょうか?

まずは「ヒモ(僕の場合)」の定義から

 大前提としてこの本における「ヒモ(僕の場合)」を定義することにします。
 大辞林第三版によれば「ヒモ」とは、

女を働かせ金品をみつがせている情夫を俗にいう語

だそうです。
 僕は「同棲する彼女の給料で家賃を払って借りる家」に転がりこんで生きています。彼女との外食でのお会計のときにも、僕は「ワォン!」と電子マネーの決済音をまねることしかしません。
 たしかに僕は辞書的な意味の「ヒモ」にあてはまるような気もします。
 しかしややこしいのは、僕が世間一般のイメージ、たとえば同棲している女性からむしりとったお金をギャンブルに使い、あげくダークネスな商売に突きおとす……といったヒモではないことです。
「お金をくれ」
「貢いでほしい」
 などといったことも一度もありません。正直に白状すれば借金は頻繁にしますが、ライター業を細々とこなすことで自分のおこづかいは自分で稼いでいます。
「これは主夫」のコメントのとおり、朝・晩の食事はもちろん、彼女がお昼に会社で食べるお弁当も作ります。掃除・洗濯の家事のほか、駅までのお見送りやお迎え、会社での愚痴を聞くことも僕の日課です。
 そのような行動だけを見れば、たしかに主夫のようにも思えますが、結婚をしたことは一度もないので(いまのところは)主夫でもないでしょう(専門的に家事をやる人に対し、
なぜ性別を強調するような名前をつけるのかもわからないので、正直主夫と呼ばれることにも違和感をおぼえています)。
 また主夫とちがい、「ヒモ」は職業ではありません。彼氏のいち「状態」であるように思います。
 なので、正確に僕を表現するとこのようになります。
〝同棲をしたうえで、女性が働くかたわら家事で彼女をサポートすることを得意とし、屋根・壁代を払わずにすんでいる彼氏〟
 ここでは、そういった状態の彼氏(僕)を「ヒモ」と定義することにします。

不当に得をしている=ヒモ

 また、自分自身をヒモ状態であると説明することにも合点がいっています。「ヒモ」という言葉自体に「不当に得をしている」イメージがついているからです。
家賃・光熱費といった生きるうえで絶対に必要となるお金をこれまでずっと払わずに済んできたほか、彼女と買い物に行った際には服を試着するたびに、「買ってあげようか?」ときかれるシーンを切りとって見ても、やっぱり普通の「彼氏彼女」の関係ではなく、僕が「ヒモ状態」であることがわかります。
 ときに「私のお金で海外留学するか?」なんて血迷った提案をされることもありますが、いずれの場合も僕は極力拒否をします。
 それはやはり、
「ヒモの僕がいうのもおかしな話だが、お金の使い方を考えてくれ! エコノミーな僕を長く飼ってくれ!」
 と強く思っているからです。 
 まったく苦に思わない家事をやることで会社に行かずにすむうえ、生きるうえでの必要経費がかからずに生活できてしまえることは、やっぱり少しズルい生き方であるという自覚はあります。

なぜヒモの「プロ」なのか?

 それでは、「プロヒモ」とはどういうことでしょうか。
「プロヒモ」に対し「アマヒモ」がいるわけでもありません。
「これまでとは一味ちがうヒモだぜ!」と強調したかった理由による造語にほかなりませんが、なにが「一味ちがう」のでしょうか。
 僕は、「当方ボーカル、それ以外募集」と音楽になにも造詣がないのにもかかわらず武道館でのライブを夢にかかげたり、パチスロに行ったりすることが日課のイケメンでもありません。
 みなさんが想像されるテンプレートなヒモ像とも異なりますが、それは別に「プロ」と呼ぶための材料にはならなそうです。
 ヒモは一人の女性に「ベタ惚れ」させ、切っても切れないドロドロした関係のなかで女性に養われているような印象があるかもしれませんが、僕は彼女を何度変えてもその女性の家に転がりこみつづけることに成功してきました。
 それだけ「モテる」といいたいわけではありません。
 何度も経由してきたということは、それだけ「フラれてきた」ことも意味するのです。
最後は「お前との未来が見えない」「待てども待てどもお前は会社に勤めない」と結構あっさりと関係は終わってきました。 それでも飼ってくれそうな女性を見きわめ、その人の家に寄生しつづける努力だけは惜しまなかったことで、次の飼い主がまえの飼い主の家まで車で僕を迎えにきたこともあります(まるでペットの引きわたしと変わりません)。
 さらには浮かせたお金の額にも「プロ」が見いだせるかもしれません。
 女性の家によっても異なりますが、家賃は6万~22万といったところでしょうか。プラス光熱費と食費が13年分浮いた計算になります。これまでの寄生先を順に並べると、こんな感じです。

 1軒目 所沢のマンション   家賃7万円 
 2軒目 明大前の木造アパート 家賃6万円 
 3軒目 勝どきタワマン    家賃22万円
 4軒目 上野のマンション   家賃12万円
 5軒目 松戸のマンション   家賃8万円
 6軒目 中野のアパート    家賃6万円

 紆余曲折あり、いまは沖縄の家賃7万円のマンションに住んでいます。光熱費をふくめ平均約10万円が毎月浮いたとして、12ヶ月が13年なので……、
 10万円×156ヶ月=1560万円くらいでしょうか。
 これ、ひと財産ですよね。
 とはいえ具体的な家賃を聞いたことも、金額を数えていたわけでもありません。
 取材のときに初めて計算し、だれよりも自分が一番驚きました。 19
 そんな金額、口座にマックスで20万しか入ったことがない僕からしてみれば天文学的な数字です。ゲームやテレビ番組以外で見たことがありません。
 他人事のようですが、僕自身「プロヒモ」とはなんなのかわかっていません。
 理解してもらいやすいように自称していますが、僕は「ヒモ界で天下をとってやる!」なんて誓ったおぼえもありません。
 自分自身「ヒモの強い版」くらいにしかとらえていないのです。

2ヒモの1日は…… 毎日「予定は未定」

 得体の知れぬヒモは、どんな1日を送っているのでしょうか。
 朝 7時 起床、朝ごはん・お弁当の用意。お見送り
   10時 洗濯、掃除終了。喫茶店に向かう 20
 昼 12時 2時間いると店員の目が怖いので、喫茶店をはしご
 夕 16時 スーパーに買いだし
   17時 晩御飯の支度
 夜 18時 ランニング
   20時 彼女帰宅。晩御飯、あと片づけ
   21時 お風呂・明日のお弁当の仕込み
   22時 就寝。寝つきが悪い場合はゲームやパソコンに興じる
 深夜24時 本当に今度こそ寝る

 こう見ると、なるほど主夫と呼ばれる理由もわかりますし、規則正しい毎日を送っているようにも見えますが、彼女の規則正しい生活に合わせた結果そう見えているだけです。

ヒモの朝は早い
 正確にいえば、ヒモの起床時間は7時よりももう少し早いです。
 具体的な時間こそ決まっていませんが、ヒモの1日は「彼女より早く起きる」「彼女を起こさない」ことからはじまります。
 この理由は、いっしょに起床してから朝ごはんやお弁当を作るよりも「ポイントが高いから」です。
 同棲相手(ヒモ)が自分よりも朝早くに起きて自分のために生産的なことをしていたら、嬉しいやら後ろめたいやらといった印象を持つでしょう。このポイント加算こそ、持続した寄生生活を可能にする秘訣なのです。
 よくよく考えれば実家で親がしてくれたことと変わりませんが、同棲相手が実行しているからこそ「かたじけない」と思わせることができ、「ペットを逃してはいけない」と相手を洗脳し、生活に溶けこむことができるのです。
ヒモお手製「忙しいながらも自炊もちゃんとする女の子」弁当
 お弁当のおかずは前日から仕込んでいたものに火をとおすだけ。朝作るのは卵焼きだけなので、実質20分もかかりません。
 もっといえば、ヒモの作るお弁当は「手間がかかっていないように見せる」こともポイントのひとつです。
 彼女には、あくまでも〝自分でお弁当を作っている設定〟をつらぬかせています。
 いわゆるキャラ弁なんてもってのほか。あえて冷凍食品を織りまぜるヒモのお弁当は、
「忙しいながらも自炊もちゃんとする女の子」
 を職場でアピールできることに注力した作りになっています。
 また、炭水化物の摂取をおさえるために卵焼きでお米のスペースを削る工夫なども欠かしません。
 お弁当を作る際には、朝ごはんもいっしょに作ってしまいます。女性によって好みは 異なりますが、いまの彼女はパン派なのでホットサンドやフレンチトーストなどを用意することが多いです。
 菓子パンやトーストを出すだけでもいいのですが、女性の朝は準備に時間がかかるため、あえて手間がかかっている風を演出します。彼女が化粧をしていたりスマホでSNSをチェックしている間に、朝ごはんとお弁当ができあがっていることに「忠犬としての優秀さ」を見いだしてもらうのがヒモの朝といえるでしょう。
「近くのコンビニに売っている〇〇を朝ごはんに食べたい」
 これは僕にとってボーナスステージです。コンビニと家をダッシュで往復して息を切らす僕に、彼女がおつりをくれる可能性が非常に高いからです。

ヒモ生活の真骨頂。
約半日の自由時間

 彼女を会社近くや駅近くまで見送る時間はだいたい8時半ごろ。
 このあとも掃除や洗濯、買いだし、晩ご飯の準備もありますが……相手は一人の女性です。部屋も広くありません。これらの家事はすべて3時間以内におさまります。

 ヒモ生活で強調すべきポイントは、彼女の帰宅する20時までの約半日、少なく見積もっても1日のうち9時間が自由時間であることです。
 喫茶店に行ったりランニングをしたりする日もありますが、決められた場所に決められた時間に行く必要は僕にはありません。お見送りで彼女に手を振っているとき、「今日はなにをしようか」と考えられることにこそヒモ生活の醍醐味があります。
 おこづかい稼ぎの手段であるライターの仕事が楽しくなり1日喫茶店にこもって記事を書いていることもあれば、ランニングをしてどこまで行けるのか試す日もあります。「気がついたら1日なにもせずに終わっていた」なんて日も珍しくありません。

帰宅する彼女をお迎え
 20時ごろ、彼女を会社の近くまでお迎えに行ったあと、今日はどんな日だったかを彼女に話してもらいます。ほめられたのならさらに強くほめ、怒られたのなら、
「伸び代があるってことじゃない」
 なんてポジティブな言葉をかけたり、彼女の代わりに僕が会社の悪口をいったりします。

 基本的に彼女のいうことには全肯定。お説教なんて野暮なことをしないのは、いい彼氏(ヒモ)を演出する目的もありますが、もとより僕は会社に勤めたことがないので具体的なお説教ができないということもあります。
 もっといえば、ヒモはへりくだることへのためらいや、男としてのプライドなんてものも持っていません。
 彼女の食べたいご飯を察するのも得意技です。日中にLINEで引きだした「和食」や「麵類」といった漠然としたキーワードから推理し、帰宅直後に食べられる状態にしておきます。
 このとき次の日のお弁当の仕込みもすでに済ませているため、皿洗いが終わってから寝るまでの間はふたたび自由時間となります。
「毎日そんなに暇な時間があったらもっといろいろなことができる」と思われるかもしれませんが、そんな明確な目的意識を持っているのなら、ハナからヒモになどなってはいないでしょう。

3 なぜヒモ生活を送れるのか。
〝アブノーマル〟な恋愛様式

 どうして僕はヒモ生活を送ることができるのでしょうか。
 この生活を長年つづけてこられたものの、モテた経験はこれまでいっさいありません。
 ひと昔まえには、モテる男性の基準として「三高=高学歴・高身長・高収入」がもて 27 はやされていました。
 比較的簡単に入れるといわれている学部とはいえ、僕はいちおう早稲田大学を卒業しました。しかし、そのことがいまなにかに直接活かされているわけではありません。
 身長なんてサバを読んで163センチです。いま財布のなかを見たら400円とちょっとしか入っていませんでした。
 昔からメガネをかけていますし、小学校のころには体重が80キロもありました。チビ、デブ、メガネをコンプリートした僕は、単身で「なんちゃらズッコケ組」のコンプレックスをすべてかね備えていたのです。もちろんイケメンでもありません。いまも昔もゲームばかりやっています。自分で自分の特徴をならべておいて悲しくなってきましたが、女性にモテる要素は皆無といって間違いありません。みなさんが想像するヒモ像から一番遠いイメージに僕は位置していると思っていいでしょう。

極論だれでもいい。究極の悟り型恋愛

 そのため僕は、「どうして(お前みたいなチンチクリンが)ヒモ生活を送れるのか」とたずねられることも多いのですが、「自分のことを好きになる可能性をもった」女性の気配を感じとる嗅覚がとぎすまされ、その気(け)がある女性だけにすり寄り、甘えてきたからこそ、ヒモ生活がつづけられてきたのです。
 多くの方がここで疑問に思われることとして、
「好意さえ持っていれば相手はだれでもいいのか」
 という点ではないでしょうか。
 結論から先にいうと、極論僕のことを好きになってくれるのであれば、性別や国籍、年齢を越えても僕は相手のことを好きになる自信があります。
 あえて僕が好きな女性のタイプをあげるなら、
「僕のことを好きになってくれる人、そのうえで一人暮らしをしている人」です。
 自分から好きになりそうな女性こそ、恋愛対象外でもあるのです。
 まず、僕のことを好きな人がいて、その人に自分のできることを尽くす→その人は僕をかわいがる→そのお返しでもっと尽くすうちにその人に好意を抱く……。
「この関係性が心地よい」という結論に達した僕は気がついたらヒモになっていました。

「僕はあなたよりも自分のことが好きです」
 
 僕はいつだって自分のことが世界で一番かわいいし大好きです。
 だからこそ、寄生するまえに必ず先にお伝えしておく言葉があります。
「僕はあなたよりも自分のことが好きなヒモだがそれでもいいか?」こんな僕でもこれが自分勝手なことくらいはわかっています。
 しかし、僕のことを好きになってくれた女性に甘えたおして労力やお金を使わせすぎることは、僕が依存しているようで実は相手の執着や依存感情を生みだす結果につながることもあるのです。
 せっかく僕のことを好きになってくれた人に苦しみは味わってほしくないので、
「ヒモだし、僕は自分のことが好きだけどいい?」と確認を取ったあとには、
「だからあなたも自分のことを一番好きでいてくださいね」

 とつけ加えるようにしています。
 そうでないと先ゆき不透明なヒモを飼わせる以上に人間関係としてフェアでない気がしますし、自分だけが楽しくてもいっしょに生活する以上は相手も楽しくないと結局うまくいかないと考えています。
 もちろん、楽しくなければすぐに追い出されてしまうので、長く家にパラサイトする目的を叶えるためにも両者が楽しくいられることは僕のヒモ生活における大前提です。

「カワイイ女の子」じゃなくて「カワイイ」といってくれる女の子
 
僕が女性のどこを観察して自分のことを好きになってくれる(飼い主になる)可能性を見いだしているか。ヒモならではの脈あり・なし判断基準を紹介します。
 男性なら女性の好意がどこに表面化されるのかは知っておいて損はないと思いますし、女性であればこの先厄介ごとを回避できるかもしれません。

 ずばり、自分のことを好きになってくれる可能性のある人とは、自分のことを「カワイイ」といってくれる(思ってくれる)人です。
 判断基準はこれだけです。
 雑誌なんかで特集されるような、細かなチェック項目はありません。
 実は「カッコいい!」や「スゴい!」は、それだけでは好意があるかどうか判別できません。少なくとも家に巣食える見こみはうすいと考えるので、ヒモとしてはNGです。
 なぜヒモは「カワイイ」といってくれる女性に巣食える可能性を見つけているのか。まず、女性にとって「カッコいい」という言葉は「カワイイ」と比較したとき、それほど大事な言葉ではなく、心がそこになくても発することのできる「使い勝手のよいほめ言葉である」とにらんでいます。
正確にいえば、カッコよくないものにカッコいいとほめることはあるでしょうが、カワイくないものに対してカワイイとはいわないはず。
それに「カッコいい」とほめられてうれしくない男性なんてそうそういません。
だからこそその場を〝やり過ごす〟ためにも使われますし、仮にあなたが面倒なカッコつけた演出を行った場合にも「カッコいい」というほかないのです。

 これこそが、「カッコいい」だけでは好意があるかどうかの基準にならないと僕が考える理由です。
 それに対して「カワイイ」は年齢関係なく多くの女性にとって大事な言葉である場合が多く、あなたに寄り添っていないかぎりは使われない言葉であると考えています。
「カワイイ」=「好意」と断言することはできませんが、少なくともこの言葉が出た時点で親しみは持たれていると判断してきました。
 また、なにかをカワイイと形容することは、どこか自分より格下に見ているニュアンスもふくまれています。
 たとえば猫です。ブサイクな猫、デブな猫もカワイイのだから無敵のカワイさをもっています。カワイイと思われ、養われることを目的に進化をとげたとしか思えません。
 しかし、猫をカワイイと思う理由は姿だけではありません。
 自分よりも弱いことを潜在的に知っているからこそ、カワイイのだと思います。
 障子を破ろうが壁で爪とぎをしようが、それすらカワイイのは本気を出せば勝てることがわかっているからでしょう。
 つまるところ、「カワイイ」と発した時点でその女性は僕に寄りそう気持ちを持っている可能性が高く、そのうえで女性より立場が弱いと思われることにも成功しているのです。
「カワイイといってくれる」「自分より格下と思われている」の2つがそろえば、ヒモからしてみればこれはもう「見こみあり!」なのです。もちろんすべてのケースに当てはまるわけではありませんが、その女性は僕が下へ下へと潜りこんでいけるポテンシャルが相当に高いことを意味しています。

弱点が「カワイイ」になる

カワイイとは、決して見た目だけの話ではありません。
「カワイイ」を一言で定義することはできませんが、ここでは「カッコイイ」の逆くらいにとらえてください。というのも、カワイイとは下に見られるニュアンスもふくむといったとおりで、ときとして一般的なウイークポイントですらカワイイに昇華することがあるからです。
 太っているのなら「ぽっこりしたお腹がカワイイ」、身長が小さいのなら「マスコットキャラみたいでカワイイ」といった具合でしょうか。
 では、ウイークポイントを「カワイイ」に昇華させるにはなにが必要なのか。
 これも簡単です。「カッコつけないこと」です。
 コンプレックスもふくめ、自分のありのままの姿を見せることが肝心です。
 おしゃべりの途中で会話がとぎれてしまったのなら、無理に話題を探したあげく自分が明るい分野の話を持ちだして相手の女性が引くほどマシンガントークを展開するよりも、
「おしゃべりの話題がなくて、気まずくなることに僕は焦りを感じているようなんだけど、気まずくならないようにいっしょに会話をがんばってくれないか」
 とストレートに伝えた方がまぬけに見えるので、カッコつけるよりも親しみを持ってもらえると思います。
 少なくとも憎めないやつにはなれるはずですし、なかには「カワイイ」と思ってくれる人もいるのです。
 ユーモアも別にいりません。
「女の子のまえだとあがってどもっちゃうんだけど」
「目を見てしゃべれないんだけど」
 こんな緊張も、そのままいってしまえばいいんです。まぬけに見えます。
 本心をさらけ出すこととまぬけなことは表裏一体ですし、だからこそ親しみを持ってもらうための一歩にもつながるのです。

金を持っていなくても僕の株は下がらない

カッコつけることは存在しない魅力をパテで塗り固めるような行為であり、あなたの持っていない長所を瞬間的に作りだすことと変わりません。
ときに「無理してカッコつけるところに惹かれた」なんて話も聞きますが、「無理してカッコつけるところに(カワイさを見つけて)惹かれた」が省略されているように思います。

 また、ヒモからいわせてもらえば、一度「カッコいい」なんて思われてしまったらそのハードルは上がっていく一方なので、その点でもNGです。
 ホテルで高級ディナーの翌週、安居酒屋で発泡酒は許されません。
 お金が無尽蔵にあるのなら話は変わってきますが、一度背伸びをしたタイミングで好意をもたれてしまえば、素をさらけだすタイミングもつかみ損ねてしまうかもしれません。
 その点、はじめから格下に思われている「カワイイ」は株価なんてもともとあってないようなものですし、マイナスからのスタートなので、加算ポイントがあれば価値は上がる一方です。
 僕に「男性的に求められる頼りがい」が見いだせなかった瞬間に去っていく女性もいます。
 しかし、もとより無理をするのであれば、どうせ今後の関係性においても無理しつづけるので、楽しい関係には至らないでしょう。
 それに、どんなにカッコつけたころで女性は簡単に見抜きます。それならばプライドまかせにカッコつけるよりも、はじめからさらけだしてしまった方がのちのち良好な関係を築けそうでもあります。
 だからこそ、「カワイイ女の子」ではなく「カワイイといってくれる女の子」なのです。

同棲してから好意をふくらませる

 僕は一般的にいわれる恋愛のプロセスとは逆の方向をたどっています。「カワイイと思った相手を好きになり関係を築き、ある程度時が経ってから同棲する」のではなく、「自分のことをカワイイと思ってくれる相手の家に転がりこんでから関係を築く」というものです。
このプロセスには違和感をおぼえる人もいるでしょうし、相手の恋愛感情を逆手にとり「屋根・壁」などの物理的な恩恵を受けとる構図に不誠実さを感じる人もいるでしょう。
 しかしここで勘ちがいしてほしくないのは、僕のヒモ生活は、
「家事をやるから家を保証してくれ」

 といった無機質なギブアンドテイクの精神のみで成りたっていないことです。
「自分のことを好きになってくれる人のことを好きになる自信がある」
 という言葉のとおり、僕は付き合ってヒモになってから相手への好意をだんだんとふくらませてきました。
 それでも「同棲してから好きになる」とはやっぱりおかしい話に聞こえるかもしれません。
 ここまではっきり「好きになる自信がある」といいきれるのはなぜなのでしょうか。
「好きな人ありき」ではなく、自分のことを好きになってくれる人がいることをスタート地点に置いていることは、本来関係性のはじめにあるはずの「自分自身の好き」という感情を重要視していないともいえます。
 そもそも僕は自分自身の直感めいた「好き」を信用していません。
 だれを好きになるかではなく、同棲した人物とどう向きあっていくべきか、その過程こそを重要視しているのです。
「そんな偉そうなこといって、ヒモ生活を送れるならだれでもいいんでしょ」
 なんてツッコミも聞こえてきます。
 正直なところ、はじめはそうだったように思います。 39
 家賃を払わなくても許される楽な生活が送れることに越したことはないですし、自分のことが大好きな僕は、僕のことを好きになってくれる人がタイプですので、その時点で相手の容姿や性格、年齢問わず「いいな!」と思ってしまえるのです。
 つまり、これまでのヒモ生活はすべて、
「なんかいい人そうだからとりあえず付き合ってみることにした」 くらいのノリで家に転がりこんできたことは噓じゃありません。
 しかし、転がりこみ、巣食う過程で好意がふくらんでいったこともまた事実です。

ヒモ状態のキーワードは連泊

相手の家に泊まるだけではヒモにはなりませんし、なにかプレゼントをもらっただけでもヒモとは呼べません。
お付き合いのまえに「ヒモだけど大丈夫か?」と確認こそ取りますが、契約書を交わすわけでもないのでその確認だって口約束にすぎません。
 つまり、ヒモ状態かそうでないかの間には、明確な線引きは存在しないように思います。
〝家賃が発生しないとおかしくないほどに連泊しているのにもかかわらず家賃が免除されている状態〟をもって僕の場合は「ヒモ」としている気がします。
 ここでのキーワードは「連泊」です。
 いかにして連泊をするか、家の合鍵をもらえるか……がヒモ生活の課題でもあります。
 一言でいえば、その人の生活の一部にぼんやりと溶けこみ、気がついたら部屋に居る「なにか」になっていることが肝なのですが、相手はさまざまですし、生活スタイルだって人それぞれ。そのつどパラサイトするには試行錯誤が必要なのです。
 第一の手段は料理です。
 高校時代からお弁当を自分で作っていたこともあり、たいていのリクエストに応えることができます。
「男心をつかむには胃袋をつかめ」なんていいますが、性別は関係ありません。女性だって料理が面倒な人はいますし、あと片づけとなれば好きな人はまずいません。
 料理が苦手な人の家で連泊をもくろむとなれば……初日にご飯をふるまったあと、
「じゃあ、明日は洋食or中華or和食を作らせてよ(半永久的にここに住まわせろ)」
 料理が得意な人であれば、
「じゃあ、明日は作ってよ! 食べてみたい!(半永久的にここに住まわせろ)」
 とあと片づけをしながら2日目の宿泊予定をあの手この手で外堀から埋めて連泊の準備を整えていくわけです。

気づけば頭は相手のことでいっぱいに

ゲスな思考ですが、いかにすれば連泊できるかを考えることは、実はおのずとその人のことを考える時間が増えるということでもあるのです。
カロリー、添加物、普段の食の好み、家庭的なメニューがいいのか、いわゆる「オトコメシ」のような普段はあまり食べないものがいいのか。
 2日目がカレーなら、3日目はカレードリアにもカレーうどんにも転生できます。 
 翌日の朝まで考えると、材料を使いきってしまわない食材の方が都合はいいでしょう。体調はどうだったか、最後に食べたものはなにか……。
 これまでの会話やいっしょに観た映画、YouTubeにもヒントがあるかもしれません。
 とにかく、連泊のためなら余念はありません。全力で連泊を成功させつづける「正解メシ」を探しにいきます。
 グウタラしていたら女性も「部屋になにかよくわからないものが1匹巣食っている」ことに違和感と不快感をおぼえるでしょう。
 ……が、気がついたらご飯が用意され、いつのまにかあと片づけが終わっている。
 そういえば昼飯の弁当も持たされている……となれば、「こいつは益虫なのではないか?」とどこかで認識(誤認)してくれ、ヒモ生活になだれこむことができるのです。
 鍵を手に入れた瞬間は「新しい住処を手に入れてやったぜ!」という気持ちもありますが、実はそのときにはすでに相手のことばかりを考えるようになっています。
「なんかいいかも」くらいではじまったヒモ生活ですが、生活を維持しつづけるにはつねに相手のことを考える必要があります。
 僕が相手のことを好きになる自信があるとお伝えしたのは、このような理由からです。 
「卵が先か鶏が先か」ではありませんが……ヒモの僕は結果としてこのような考えに至りました。
とはいえ、恋愛関係のどこに重きをおくかなんて人によりけりです。だれをどんな理由で好きになろうと自由です。
 もちろん、お付き合いに直感を大事にする人のことを否定するわけでもありません。
 であれば、「同棲してから相手を好きになる」「あなたがこういう人なら私はこういうふうにする」といった具合に、関係性をどう育んでいくかに重きをおいたお付き合いだって許されるのではないでしょうか。

彼氏「+α」の価値で家にしがみつく

相手を変えてもヒモ生活をつづけるための料理以外の手段は、相手によって僕自身のあり方をちょっとずつ変容させることです。
相手の生活に自分をなじませていくヒモのスタンスはよくいえば「柔軟性」、悪くいえば「胞子菌」のようでもあります。
 僕は家事を苦に思ったことがありませんし、家事は屋根・壁代くらいにとらえているので僕のヒモ生活では大前提です。
 しかし、家事だけを求めているのであれば家事代行サービスをたのむ選択肢もありますしいろんなお店の料理が宅配されるサービスも整っているいま、わざわざヒモを飼う必要はありません。
 女性の一人暮らしの部屋、プライベート空間に人一人余分にスペースを割いてもらってまでその家に居つくためには「飼うに値する」と相手に認識(誤認)させる必要があります。
 この必要とされているあり方は相手によってさまざまです。

家主の意向を反映させた家事

 大学時代の後輩の場合は、同じキャンパスに通っていたこと、キャンパスと部屋までの距離が近かったことから必然的に連泊をするようになっていきました。
 もちろん、このときは自分のことをヒモとして意識していませんが、僕はこの同棲生活から今後のヒモ生活の土台となる「観察眼」や「汲みとる力」を養いました。
 連泊をしていると、付き合っていようがいまいが相手の一人の時間を奪うことに居心地の悪さをおぼえるようになります。
「なにか連泊をするに値する理由を作らなければならない」
と感じた僕はひたすら料理を作ることに執心、彼氏兼「コック」となることで自分自身に付加価値を与える作戦に出ました。
「大学生の一人暮らし、半自動的に料理が出てくることに喜んでもらえれば僕も居心地が悪くないし、同棲相手にとっても都合がいい。そんな人物は連泊させるに値する」と認識してもらおうと考えたのです。 僕はわずかなメッセージから相手の食べたい料理を導きだすことが得意なのですが、それはこのときの同棲相手が多くを語らない性格であったことから学んだ経験であるように思います。
たとえば、ある日晩ご飯のリクエストをたずねた際、「野菜」とひと言だけメッセージが返ってきました。
「野菜」とは……サラダのことではないのです。
 そう読みとく根拠は、「野菜」とは別に「ザッハトルテ」というリクエストを受け取っていたことがヒントとなりました。

「ザッハトルテ」から、彼女がリクエストを投げてくる角度の傾向がつかめたのです。
①食べたいものが決まっている場合には、一般的に晩ご飯に出てこないようなメニューであっても、ピンポイントで料理を指定する
②カロリーを気にしていないときは本当に気にしていない
 それならば野菜=「炭水化物をおさえることのできる料理」。お米がすすんでしまう濃い味つけの料理は不正解、うす味が正解です。
 目に見えて野菜を摂ることができそうな汁物「ポトフ」は、自分の裁量で食べる量を調整できるパンなどを用意することもできるので喜ばれます。
 まえの日に洋食をつくったのであれば、大根やレンコン、はんぺんなどを入れたおでんも必然的に炭水化物を遠ざけることができるのでいいかもしれません。
 晩ごはんをパスしてでもカロリーを摂取したくないのであれば、「要らない」と答えるのではないでしょうか。
 そうであれば、リクエスト「野菜」の真意は……、
「メニューは思いついていないがカロリーは摂りたくない。しかし、食う」

 です。
 それならば、食べごたえも必要になってきます。
ポトフやおでんは、野菜に隠すようにして肉を忍びこませることができるからこそ正解なのです。
 リクエストを相手にたずねることは簡単ですが、それが毎日となると料理がピンポイントで思い浮かばないのは当然ですし、おっくうでしょう。推理なんかしなくても「いつも買うバニラ系のアイスの代わりに、カロリーの低いシャーベット系を買っている?」など……細かく観察していれば、相手が多くを語らずともメッセージは読みとれるものなのです。
料理以外であれば、衛生の意識に大きく個人差がでる掃除にも、家主の意向を反映させることができます。
窓が曇っていたり風呂場のガラスがウロコになっていたりすることに目がいく人もいれば、とにかく床が汚いと落ち着かない人もいます。
 基本的な掃除はひととおり行いますが、家主が特に清潔にしたい箇所は念入りに掃除をすることでさらに喜ばれます。もちろんここでも排水溝を掃除されることを恥ずかしく思ったり、下着類の洗濯にこだわりを持っている人もいるので、「なんでもかんでもやる」ばかりがよしとされるわけではありません。
 家事以外であれば、たとえば口喧嘩の際に火種を小さいまま消すことができるようにもなります。
「どちらがどれだけ悪かったかパーセンテージを出そう!」という具合に、問題を洗いざらいさらうことが素早い解決につながると信じている人もいれば、「冷静になるためにとにかく時間をおきたい」人もいます。
 自分の気持ちの収まりがつかなくても、「アイスを食べて寝る」ことが相手にとってストレスのない解決方法なのであれば、僕はそれに迎合します。
 僕にとって優先させるべきは自分の正統性を主張することではなく、相手に「この家から出ていけ!」の切り札を切らせないこと。屋根・壁代を浮かせるためには「合わせられる限界まで自分を相手にすり合わせること」が肝要です。

赤べこのようにすべてを肯定する

「赤べこ」のように首を縦にふり、聞き役に徹することに価値を見いだしてくれた相手もいました。
ミュージシャンだったこの女性は独自の世界観を持ち、自分のやりたい音楽と世間の求めている音楽の間に差があることに歯がゆさを感じていました。趣味と仕事の線引きに悩み、同い年の売れているアーティストに嫉妬していたようにも思います。
 僕は楽器を演奏できませんし、音楽にくわしいわけでもないので、アドバイスのしようもありません。それならば、相手の話をとことん聞き、「赤べこ」が首を縦にふるようになにもかも肯定することこそが僕に求められている価値だと感じました。「話を聞く」とは簡単なようでいて、相手への興味と尊重がないと実は難しいものです。
 相談がわかりやすい例ではないでしょうか。相談された方は頼られたことが嬉しくて、ついいろんな例をもちだしてアドバイスをしたくなってしまいます。
 よかれと思ってあれこれ助言をしても、相手は話を聞いてもらったうえでただ肯定してほしいだけかもしれません。
「要するに」「つまりは」なんて、相手の話をだれにでもわかりやすくまとめてしまうのは野暮ってものです。他人とわかち合えないような悩みならなおさらのことです。
 同じ愚痴がくりかえされても、「よっぽど嫌なんだなあ」くらいに思い、ただただうなずくだけ。
 思考整理に使ってもらい、自分の口から解決の糸口が出ればそれに越したことはありません。相手にとって一番気持ちのよい姿勢をつらぬくことで「屋根・壁」が手に入れられるなら、僕は否定もアドバイスもいっさいしません。
 結局3ヶ月くらいで家賃を払っていないことに気がつかれてしまい、同棲は解消されることになるのですが、結局このミュージシャンの女性とお付き合いすることはありませんでした。付き合っていようがいまいが、口約束をしていようがいまいが、「関係性すらなんでもいい」と思いはじめたのはこのころのように思います。

苦手分野を引き受ける「見えざる能力」になる

 いまの彼女にとって僕は彼氏でありヒモでありますが、同時に彼女の苦手分野を引き受ける彼女自身の「見えざる能力」であるような気もします。
 彼女は家事全般が苦手です。本人にいったら怒られるかもしれませんが、脱いだ服は脱ぎっぱなし、食べ終わった皿を台所にもっていくこともしません。
 いっしょにスーパーに買い物に行こうものなら値段を見ないでバンバン食べたいものをカゴにいれますし、外食では肉やラーメンばかりを好むので一人では栄養管理もできないでしょう。
 腹痛に苦しんでも、ベッドのうえでうずくまっているだけで胃腸薬を飲むことすらしません。「一人ならできる」といい張っていますが、家事をしながら僕は「育成ゲーム」に似たいそがしさを感じることもしばしばです。
 家事以外では外での理不尽をすべて自分のなかで解消しようとする真面目すぎる性格でもあるので、ふざけた生き方の視点から彼女の代わりに悪口をいったり愚痴を聞いたりするのも僕の役目、サボりたい飲み会のいいわけなどもいっしょに考えます。
 家事を苦手とする反面バリバリ外で働きたいという彼女は会社をはじめとするいろんなコミュニティで気に入られますし、出世欲も強いです。

 いまの彼女とは得意/不得意が合致していて、能力としてこれまでの経験をすべて活かすことができ、楽しいんです。
 なにより僕のプロヒモ生活を、「新時代の生き方」と太鼓判を押したのは彼女でもあります。


目次

目次①

目次②


[著者略歴]
ふみくん
1989 年生まれ。本業プロヒモ、副業ライター。早稲田大学人間科学部卒。「その日を自分なり に 楽しく終えられればいい」ということを念頭に生きてきた結果、 現在の 家事を必要とされる人に施す プロヒモ生活を送っている。 日刊 SPA !にてヒモ生活が取りあげられる。


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