見出し画像

無意識の偏見(フィルター)に気付くことの大切さ

私たちは、意識しないと無意識に人を差別してしまったり、また偏見をもったりしてしまうことがあると思う。それは偏ったフィルターがかかっていることに気付いていないことが問題だと感じる。フィルターの例として、「年齢」「肩書き」「国籍」を例に考えてみようと思う。

「年齢」はその人が生まれてからどのくらい時間が経ったかを数字で表したものだ。
10歳の人は10年、20歳の人は20年、30歳の人は30年、40歳の人は40年・・・というように、数字ですぐその人が生まれてからどのくらい時間が経ったかを知ることができる。

大きな年代の区分としてよく使われる言葉に、団塊世代、バブル世代、就職氷河期世代、ゆとり世代、ミレニアル世代、Z世代・・などがあるが、これらはあくまで年齢で区分しただけのものである。

しかし、「年齢」という偏ったフィルターを通して「人」を見てしまうと、
「最近の若い人たちは・・」「年配の方々はいつも・・だ」「これだからゆとり世代は・・」
などの考えが出てきてしまう。実際は、それぞれの年代にも様々な性格や価値観をもった人がおり、それは年代が違っても同じであったり、反対に年代が同じでも違ったりすることが多い。

また、10代であっても30代のぼくがしたことがないような経験をしている人もおり、逆にその子が経験したことがないことを自分が経験していることもあると思う。そこで、「ぼくは年上だから様々なことを教えないと・・」などと考えている時は、すでに「年齢」の偏ったフィルターでその人を見ているということだ。「ぼくが知っていることを教えてあげよう、そしてぼくが知らないことを教えてもらおう。」と考えることができている時は、その「年齢」の偏ったフィルターがかかっていない時である。

次は「肩書き」で考えてみる。社会の中には様々な仕事があり、それをみんなが共通して理解するために職名がそれぞれついている。消防士、警察官、先生、医者、タクシードライバー、事務など数えきれないほどの職名がある。

またそのそれぞれの会社や組織の中で立場を明確にするために、社長、部長、課長、係長、主任などの役職名がある。これはあくまで仕事の役割を明確にするためのものである。

しかし、「肩書き」という偏ったフィルターを通して「人」を見てしまうと、下記のようなイメージを持ってしまうことがある。
「お医者さんだからきっと裕福な生活をしているはずだ。」「学校の先生だから、子供たちが好きなのだろう。」「社長だから、きっと従業員のことを大切に思っているだろう。」

でも、お医者さんでも質素な生活をしている人もいれば、学校の先生でも子どもが嫌いな人もおり、また社長でも従業員のことを考えている人もいればそうでない人もいる。

最後に、「国籍」で考えてみる。世界には様々な国があり、国籍というのはその国の人であるという証明書のようなものだ。友人で国籍を変えた人もいるのでもちろん例外はあるが、基本的に生まれた国がその人の国籍となる。ぼくの場合は日本で生まれ育ち、国籍も日本だ。

しかし、「国籍」という偏ったフィルターを通して「人」を見てしまうと、下記のような発想になってしまいがちだ。
「日本人は物静かな人が多い。」「この人はアメリカ人だから〇〇〇だ。」「この人は中国人だからきっと〇〇な人だろう。」「〇〇人は陽気な人が多い。」

でも、日本人でもよくしゃべる人はしゃべるし、物静かな人は物静かである。「物静か」と「国籍」というのは無関係なのではないかと思う。もちろん文化的にその国の人たちに共通した価値観や考えなどはあるかもしれないが、すべてが同じということはないのではないかと思っている。

「年齢」「肩書き」「国籍」の3つのフィルターを例として挙げて考えてみたが、やはり大切だと思うのは、

・「年齢」「肩書き」「国籍」などの偏ったフィルター、「無意識の偏見」があることに自分で気が付くこと

・偏ったフィルターをはずし、「その人」を見ること

だとぼくは思う。ぼくはこの考えをNPO法人でのボランティア活動を通して教えていただいた。しかし、やはり今でも意識していないと忘れてしまうことが多い。そうするといつの間にかこうした偏ったフィルターがかかってしまい、それが原因で相手を勝手に決めつけたり、人に対して態度を変えてしまったりして人を不快な思いにさせたり人を傷つけてしまうのではないかと思う。そうならないように、偏ったフィルターがかかっていないかを常に意識していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?