老いるということ

歳をとって死んでいくこと
これについて最近よく考える

もうすぐ70になる父が最近仕事で大きなミスをしたと言って帰ってきた
父は自営業なので、そして我が家は持ち家でなく賃貸なので
住むところがなくなってしまうのではないかと母は心配した
父はいわゆる士業で30年前に独立し、3人の子供を大学まで出してくれた
歳をとると言うのは残酷なことで
父より若く優秀な人材が最新技術を駆使してより効率的で正確な仕事をしていくだろうから
いつかは父の仕事はリプレイスされてしまう日がくるだろうと
数年前から私もうすうす危惧してはいた
特に今回のようなミスがあると、あいつはもう歳だからと、取引先に見放されてしまうのではないか
そんなふうになる前に父に花道を与えて引退させてあげたい
などととなんとなく思ったりしていた

結局この件は事なきを得て、大きな取引が解約されることもなく少なくともあと数年の収入は確保のだが
同じような事はこの先も覚悟していかなければならないだろうと実感した出来事だった

同じ頃、田舎に住む祖母の家を訪れた
祖母の家は築40年ほどの古い家で
若い頃から厳格で家事に余念のない祖母だったが
最近では足が痛く動ける範囲にも限界がありヘルパーさんを入れて掃除をしてもらってはいるものの
家自体の老朽化もあいまって
若い私からするとここに寝泊まりしたりするのはあまり気が進まないなと思うような
古い家になっていた

足が痛く2階に上ることができない祖母は
この1年近く2階に上がることなく生活していた
普段なら東京にいる家族の誰かが月に1度は祖母の家を訪れて様子を見たり掃除をしたりしていたが
コロナの影響で2月以降一切田舎に行くことができず、2階は無法地帯となっていた
結果、2階には蜂が入り込んでいたようで、出口を見失った数十匹の蜂の死骸が転がっていた

人間の住むところではない

こんなところに祖母を住ませていたくない

悔しいような、悲しいような虚しい気持ちになった


歳をとるというのはなんと虚しいのだろう

父だって祖母だって一生懸命生きてきた結果ただ歳をとってやれることに限りが出てきて
その結果受けるのがこんな報いなのか

人は必ず歳をとりできないことが増えていく
自由がきく間にやりたいことをやって
自由が利かなくなったら自分で人生を閉じることができたらいいのに
不謹慎だと思うがそんなふうに思わずにはいられない虚しさだった


そんなことを考えていたある日
文筆家のちきりんさんが、
使うあてもないのに大金をため込んでいる老人がたくさんいる
ある程度の貯金はもちろん必要だが
歳をとったら闇雲に貯めるのではなく価値ある使い方を考えていきたほうがいい
そんな話をしていた

その翌日、ノマドランドと言うアメリカの映画が紹介されていた
アメリカで家を失った老人たちが車で生活しながらアメリカ中を転々と移動して生活すると言う話だそうだ
この映画について解説者は
この老人たちは自由を手に入れている
アメリカ人と言うのはそもそも大陸を渡ってきた遊牧民で
この老人たちは若者だった頃ちょうどまさにヒッピーが流行していた世代
物質的なものにとらわれることなく自由に生きることを夢見た若者たちが歳をとって老人になり
彼らは老後の心配をすることもなく(既にもう老後だから)
持っているのはただ車だけで
アメリカ中を転々とし
彼らの夢見た自由な生活をしていると
それがノマドの生活だと
そんな風に解説していた

車で路上生活をする老人=なんてかわいそう
そういう印象を持っていた私にとって
目からウロコの解説だった


老いると言う事について

先のことばかり心配していて今を楽しめてないよ

と学生時代に友人に言われた私が
最近考えたこと


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