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スタンディング

今日初めて原爆ドーム前のスタンディングに参加した。凄惨な状況を呈しているウクライナ、パレスチナでの人道危機に対し、改めて反暴力の意思を示したいと考えたためである。
原爆ドーム前でスタンディングが実施されていることは、作家の小山田浩子さんや吉美駿一郎さんがSNS上で発信される情報から既知していた。
スタンディングが始まる前からベンチに座り、ピースマークを掲げ静かに訴えた。声高らかな活動はむしろ反発を生みやすい。


静かに、ただ無言で原爆ドームを拝しつつ掲げた。海外からの来訪者はこちらに目を配り、頷いたりグッドサインを向けてくる。日本人も関心のある方は、視線をこちらに預けたまま去っていく。
だが少数である。私はあの痛ましい建物を眺めながら思うのだ。あまりに観光地然としていないか。散歩コース、SNS映えする記念撮影、しかしここはスカイツリーではない。かつて数十万人もの命が奪われた場所であり、戦争の残酷さを後世に伝えるモニュメントだ。物も言わず戦禍を語ってきたのである。
戦後すぐには解体案も根強かったというが、1歳のときに広島市平塚町の自宅で被爆し、15年後の1960年(昭和35年)に亡くなった楮山ヒロ子さんの「あの、いたいたしい、産業奨れい館だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか(1959年8月6日付、原文ママ)」という日記をきっかけに保存へ向かい始めたという。https://web.archive.org/web/20161113065103/http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/build/A_dome2.html
その場所で私のピースマークは冷笑され、「自民党に言えば~?」という声さえ聞こえた。おかしいのは私だろうか。このような場所にあって平和を訴えることは奇異であるのか。私の行為が彼にとって偽善的に捉えられたのであれば仕方ない。一人ひとり感性は異なる。しかし善人が代表して動かしているこの世界で、聞こえてくる悲痛な声の数々は一体何なんだ。
日本国の主権者は国民である。現政権与党は選挙経て国の代表となったが、選挙後に我々は主権を失うのだろうか。人間でなくなるというのだろうか。
戦後79年、ヒロシマは人類負の遺産としてそびえ立っている。
79年後パレスチナ、ウクライナに民族浄化のモニュメントが、演じられた殺戮も知らず佇むことを阻止したい。


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