イカロスは二度、空を舞う。

 2019年11月14日、この日も私は仕事に明け暮れていた。いつもの時間に出社して、夜遅くまで働く。道中で深夜のスーパーへ駆け込み、お勤め品と発泡酒を買い込み、今更のようにフラワーカンパニーズの深夜高速を聴いては「明日も頑張ろう」と自分を鼓舞しながら帰る。こんなルーティーンがもう5年近く続いている。20代前半の頃は嫌な事があれば、環境を変えてしまえば上手くいくはずだと根拠のない自信があった。そのせいか仕事は長続きせず、すっかり逃げグセがついてしまった。そんな状態で職を転々としていたが、飽きもせず今の仕事に就いて早5年。今日もまた酒が俺の渇きを潤してくれるそんな気がしていた。とあるYouTubeの動画を見るまでは。

新庄剛志、日本球界復帰宣言

プリンスがまた野球を始める。そんな馬鹿な事があっていいのか!? 思わず目を疑ってしまった。詳細をたしかめるべく動画の再生ボタンを押す。動画は12日に投稿されたものだった。かんかん照りの太陽の下、心地よい潮騒の音が聞こえるバリ島に新庄はいた。

「みんな、夢はあるかい!? 1%の可能性があれば必ずできる。今日からトレーニングを始めて、もう1回、プロ野球選手になろうと思います。みんなも何か挑戦しようぜ」

自分のなかで何かのピースがカチリとはまった。思い当たるものがあったのだ。10代最後の年、幾度となく辛酸や苦汁を舐め続けられ、心身をキリキリと苦しめ続けてきた長文企画の事が脳裏をよぎった。動画を見てから、すぐに私はメビウスリング掲示板へ向かった。この掲示板には10代の頃の足跡がハッキリと残っていた。

 あの頃の俺は有頂天だった。コメディ小説の連載を独自ではじめ、読者が増えに増えていた。更には同じ志を持つ仲間がいた。朝日が昇るまで創作にかける熱い思いを語り合った。しかしそんな生活に飽きが突然やってきた。導き出した結論は、自分のセンスが何処まで通用するか挑戦する事だった。目に留まったのは長文企画と呼ばれる場所だった。簡単に説明をすると、お笑いのネタ(漫才やコント)を評価して競い合う場所だ。ちょうどこの頃の長文企画には、数えきれないほどの猛者達が日々切磋琢磨していた気がする。無謀にもココに挑んでみようと企んだ。そんな大きな挑戦が人生最大の失敗となる事を当時の僕は知る由もなかった。

 早速ネタを書く。しかし小説やポエムしか書いた事のない自分にとっては味わったことのない程の産みの苦しみが襲った。不慣れな中、何とか書き切った。次はコンビにするかトリオにするか編成に悩んだ。当時活躍していた先輩芸人が男女コンビで活躍していた事もあり、それにガッツリあやかった。男女にしよう。男女のお笑いコンビと言ったら、今ではメイプル超合金やフォーリンラブといったコンビが真っ先に浮かんでくるが、当時の俺は「ビシバシステムみてえだなあ」と世代を感じてしまう事を思い浮かべていた。

 早速、書いて間もないネタを投稿。後日収録が行われた。自分のネタは何とか審査を通過して掲載される事となった。心が躍った。しかしその躍動は一瞬にして動揺に変わった。プロの小説家が書くような文章が画面所狭しと並んでいる中に素人丸出しの高校生の文章がポツンとある。収録は個々のネタを採点したりコメントをしなければならないのだが、これはまずい……いやな予感がした。こんなネタとも言えない代物がベテランの猛者達にどう映っているのだろうか? その気持ちが拭いきれないまま放送当日を迎えた。自分の出番がやってきた。評価は散々なものであった。審査員の辛辣なコメントに思わず目を覆った。中でもまぶたの裏に焼き付いているほどのコメントを紹介したい。

「無駄に長い上に、面白くない上に、何をしたいのかがわからない。こんだけマイナス要素の多い芸人、逆に凄いわ」

 歯に衣着せぬコメントの数々が凶器に見えた。いつしか過信で塗り固められたプライドはドロドロに溶け切り、絶望感、敗北感、虚無感といったネガティブな感情が堰を切ったように溢れ出した。こんな気持ちになるくらいならば、いっそ掲載してくれないほうが優しい判断なんじゃないかと運営に憤りを感じた。でも、へこたれてもいられない! 次がある。文章の添削や試行錯誤を繰り返してみても、結果は変わらなかった。そこから投稿をしても掲載してもらえなくなる日々が続いた。ある日、日頃の鬱憤を全部ネタに書きためて投稿をした。それがまあ奇跡的(?)にも掲載されるようになったが、当然、炎上した。

「芸人辞めちまえ」

「二度とこの企画に携わるな」

 いつも見るコメントにエッジがきいていた。こんな事になることがわかっていたのならば、何でこんな惨たらしい事をするんだ。掲載なんてするんじゃねえよ。再び運営に憤りを感じた。自らの過信が招いた結果、俺はもうこの場所で日の目を見る事は出来なかった。イカロスが太陽に向かって飛んで行った行為が愚かな事だとは思っていない。ただ僕の翼はもうあの領域まで辿り着けなかった。俺は面白いんだ。ただ其れだけを信じてやってきた男の計画は、今まで見てきたどんな小説の中でも表現しきれない程のバッドエンドで幕を閉じた。

 あれから様々な企画に挑戦したのだが、何処へ行っても「あの企画の言う通りにしろ」というコメントで溢れた。俺はあの企画を引き合いに出される事がとにかく嫌だった。堕落したイカロスは呆れてものが言えないほど、荒んでいた。長文企画の活動を辞めてからは、自身のエッセイで恨み節を吐き続けて、成功者を罵ることしかできないどうしようもないクズに成り下がっていた。自分の殻に閉じこもり、誰も見ていないような場所で面白い事を言って悦に浸っている。反応しているのは見ている自分だけ。哀れで何の救いようもなかった。

 このままで終わってしまって良いのか? 落ちこぼれのレッテルを剥がさなければ、俺はいつまでも腐ったままだ。自分を責めることしかできなかった時、新庄の言葉が再びよぎった。1%の可能性……何か挑戦…………やってみよう

 俺のお笑いを否定してきた人間がこの業界にまだ一人でも居れば、面白いと言ってやるまでやろう。まだ1%の可能性がある限り。決意を固めた11月23日にメビウスリングで長文企画へ復帰する事を宣言した。それから必要性を感じなかったTwitterを始め、大喜利企画へ積極的に参加した。長文企画はというと、方々探してみたが、当時参加していた企画はことごとく終了してしまっていた。何処で活動しようものか悩んだ。そんな中で好き勝手伸び伸びとやれる場所を見つけ、現在は其処を拠点に漫才をやっている。

 一度は自分の傲慢から様々な人間の反感を買い、踏みつけ蹴飛ばされたイカロスは再び傷だらけになる事を覚悟して再びこの大空を羽ばたかんとしてる。その時の気持ちは高ぶっていた。傲慢でなく勇気を翼に込めてイカロスはまだ見ぬ大空を舞った。

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