大喜利をやってはみたけれど

その昔にラーメンズの小林賢太郎は「オンバトで玉を入れてくれるネタと面白いネタは違う」なんていう事を言っていた。個人の憶測で言うと、舞台や仲間内の芸人の中で高い評価を得たネタをオンバトで観せたら、ウケはするけれども、玉は入らなかったという事があったのだろうか? そう考えると、史上最もシビアなお笑い番組ってキャッチコピーが何だかしっくりきてしまう。更に言おう。番組史上2人目の満点を獲得したタイムマシーン3号は「面白くなくても、客がその芸人を気に入れば、玉は入る」という発言をしていた。これは厳正な審査という考えからは逸脱しているように見える。明らかに好き嫌いで物事を判断している気がしてならない。何というか審査員の懐に入り込み、如何に気に入ってもらえるかが常勝の秘訣だったのかなと筆者はこのように推察しているがどうだろう。では本題に入りたい。

 筆者もTwitterの大喜利サイトで回答者となりおよそ一月は経ったのだけども(実際はそんなにだけども)、やってみてわかった事がある。それは大喜利もオンバトと似ているような感じだなあという事。大喜利サイトでは毎日のように賞レースがあり、回答者同士でシノギを削る日々が続いている。特に投票形式で一番を決める形式を採用している場所での大喜利は、新参者にはやや不利だなあと感じている。何故かと言うと、名の知れた回答者は「この人面白い」って見ている人が一瞬で分かってしまうんです。それは、いいねの数です。名の通った回答者が面白い事言えば、そりゃあいいねバンバン押されますよ。大喜利知らない人もいいねの数を見れば「ああ、この人面白い事言ってるなあ」と。もう一目瞭然でわかりますよ。

 例えば、学校の面白いグループにいる人が、調子乗ってM-1の予選にエントリーして全然ウケなくて痛い目みるなんてエピソードがよくある。要は今まで笑ってくれてた連中はソイツらが面白いっていう前提があって何やっても笑ってくれるのであって、予選の会場は老若男女、様々な感性をもった人達で溢れてますから。得体の知れない人間が漫才やコントをやって一発ギャグみたいな事やっているなあっていう風に見ているんで、学校と同じ事ばかりやってもウケる訳ないんですよ。だって学校にいるソイツらを知りませんから。そりゃ南キャンの山里さんもゴッドタンで「学校で面白いって言われてる奴らがウチ(吉本)入ったら、ガッチガチの縦社会見せてやりますよ」って言いますよ。

 話が脱線してしまって申し訳ありません。要するにいつも賞レースで一番獲ってる人達はもう面白いっていう印象が見ている人に植え付けられてるんですよ。筆者が勝手なイメージで物語っていますけれどもね。失礼な話、賞レースでウケてるだけで、他の場所ではダダ滑ってんちゃうかと思いつつ、他の大喜利サイトで回答を見るんですけれどもバンバンウケているんですよ。おそらく、いっぱい色んな事に挑戦して自分のやり方を見つけているんだなあって思います。筆者の推察なんですけれど、その人は自分をよく知っているから、どうゆう風に回答すればウケるかっていう術を知ってるんです(おそらくですけれどもね)。

 だから大喜利であの人になりたいって思ったら、どうゆうスタンスで攻めていこうかっていう戦略は考えたほうがいいかもしれないですね。下ネタなら下ネタ。正統派なら正統派。ブラックならブラック。バカリズムさんや麒麟の川島さんのようなエキスパートを目指すのアリです。実際できるかどーかは別ですけれどね。リスペクトくらいならいいんじゃないでしょうか?

 ここから筆者の失敗談なのですが、10年前にとある長文企画さんで納得のいかない評価を下された事を理不尽だと感じて掲示板で激昂した事がありました。後日サイトを運営している管理人さんは「結果をもっと真摯に受けとめてください。面白くないと評価する者も多々いますが、中には面白いと感じ、高得点を入れた審査員もいます」と諫められました。要するに見ている人はちゃんと見ているんだよって事を言いたかったんじゃないかと推察しています。あの時の私は、一人の審査員の下した評価よりも、全ての結果にばかりに気を取られていた気がします。何処の世界にも言える話、皆、過程よりも結果を重視しています。頑張ったのなら結果を出してこいと若い頃よく上司にドヤされたものです。特にお笑いの賞レースなんか面白ければそれで良しって感じだったので、尚更結果にはこだわっていましたね(めっちゃ偏見ですけれども)。結果を残したければ、個々の評価はしっかり目を通すべきだったと今でも後悔しております。

 本当にそうなのか? 疑問に思いますよね。実際問題、ちゃんと見てくれています。それを痛感した話があります。ちょっとした自慢話になってしまったら大変申し訳ないのですが、それでも書かせて下さい。ある日の大喜利の企画で地獄で仏にあったように似たような事を言って下さいというお題に「ライザップで痩せたしゅはまはるみ」と投稿しました。後日、通知が届いて、中を開けるとなんとご本人様から直々にいいねをいただきました。アクティビティを見ると、自分の回答に200人は反応してくれていました。その中でたった一人いいねを押したのがしゅはまさんだったのです。まあどんな気持ちで押したかはわかりませんよ。もしかして青筋立てて「この野郎」と思ってたかもわかりません。純粋に「ああコイツ面白い事言ってんな」と思って押してくれたかもしれません。たらればですけれどね。結果、入賞はしませんでしたが「私のような最下層にいる大喜利回答者のネタもちゃんと見てくれて評価している人はいるんだな」と痛感しました。それからは結果を重視しつつも、評価や支持される理由までも推察していくようになりました。すると自ずから結果も伴っていったような気がしています(まあ、そんな大きな結果は残していませんけれども)。

 何でコイツのネタが支持されて、俺なんかは…………なんて気持ちになるのはわかりますよ。そりゃまあ人間ですから。妬みたくなります。そこから一呼吸置いて何かしら支持される理由がきっとあるはずだと感じたら、色々調べてみるなり、やった事ないこと試してみたほうが自分にとって得だと思います。もうとにかく面白いなと思った事を載せていくしかないんです。お前できてんのかと言われると断言はできませんが、一応こうゆう意欲を持って挑んでいるよとだけは言っておきます。私にとって大喜利は、個性と個性の異種格闘技戦。TVチャンピオンで優勝したら、言いたかった言葉を書いてこの辺りでペンを置きます。

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