いつぞやの神様の話
神様を信じているだろうか。
神様はいるか?
宗教ちっくな話だけれども、宗教の話をしているわけではなく。
例えば、
白いお米には7人の神様が宿ってる
とか
お天道様が見てる
とか
良いことをすれば天国に行ける
とか、とか、とか。
幼い頃の私は、それはもう神様を信じていた。
良いことをすればいつかは報われると信じていたし、悪いことをしたらいつかそのしっぺ返しを食らうと思っていた。
いや、今も思っている。
思っているけれども、昔ほど神様を信じなくなった。
何故なら、世の中は平等じゃないし
運の要素って結構大きいし
努力している人もたくさんいるし
運や才能があって、努力している人には敵わないし
諦め。
コツコツとまじめに生きることは悪いことではないけれど、搾取されることでもあると知ってしまった時、少し辛くなった。
ズルをして得をした人に努力を持っていかれた時、馬鹿馬鹿しいと思ってしまった。
神様に愛される人は私ではないと知ってしまった時、この今までの我慢は何だったのかと聞きたくなった。
まるで、コツコツといつの日かのための貯金をしながら、使うこともなく死んでしまう老人のような。
そして今までコツコツと貯めた貯金は、確かにある程度まとまったお金ではあるけれども、まだまだ一生安泰いうには全然これっぽっちも足りないことを知って。
我慢はいつかのためじゃなくて、今をそこそこに生きるための何かだということで。
閉塞。
あ、なんか、安泰って字、久々に見たなぁ。
なんて思って。
神様はいないと思ったけれども。
でもやっぱり神様はいる。
不平等に、私の人生を慣らしている気がしてならない。
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