スウ・ドン剣法免許皆伝71殺意の毒を持たない剣

「来いよ」の一歩からの技を実践していて、以前から好きであった柳生新陰流の言葉を思い出した。「殺意の毒を持ち得ない豪剣」「動ける可能性が迫り来る怖さ」の二つである。言葉の教えの概要は次の通り。『剣道の根本は勇である。目の前の相手を怖れず、そんな事考える心のスイッチは切り、争闘の情も去り、身構えず、身も退かず、自分を越えた何かに身を委ね、刀に依らず、刀を恐れず、力を入れず、肩緩め肘緩め、五指リラックスし、対立を消して入り込み、相手に反発をせず、相手に同化する心持ちで、掌根押し出すと、相手の動きはただ情景、我が手は目の前の虫を払うように独りでに動く。それは「動ける可能性が迫り来る怖さ」であり「殺意の毒を持ち得ない豪剣」となるのである』『のれんに腕押し、相手に抵抗せず、相手の動きを自分の手に持っている心持ちで、「さあ来いよ、来なきゃ行くぞ」と、相手に「移れと移す心イコール来いよと迫る心」で迫り行き、「相手の拳いまだ動かざる空」を抑え込む、その受けは「守」であるが、相手は崩れている。その崩れた所を打って勝つ』教える言葉はムズカシイようなイメージもあるが、自分が今稽古で充実感を覚えている「来いよ」の一歩剣は、何だかこの教えがしっくりと来る気がしてならない。現代剣道を見渡して見ると、というか自分の若い頃を見返してみても、打つ事習い我先に気合いを入れて元気を出して、やる気満々打つ気満々に、中心を攻めて、捨て身で飛び込んで行けと教わって練習していた。それはそれで一理はあるが、言葉を変えれば、行くぞ行くぞ打つぞ打つぞ一本取るぞは満々たる殺意の毒とも言える。相手をやっつけるために殺意満々、まさに殺意の毒を持った豪剣を鍛えているとも言える。剣を殺し気を殺し技を殺す剣道の三殺法という言葉もある位だから。でも、対戦して見ると良く分かると思うが、「殺意の毒」「やる気の電波」は良く見えるものだ。ああすげえ、打つ気満々攻め入って来るなあと見えるものだ。見えるものには対処がしやすい。防ぐも逃げるも出来る。打つ気は見えるから打つ気を消して、打って来いよと来いよの一歩、「打たせて見よう練」は、自分ばかりうまい事しようとせず、相手に何かさせてみる、出端のチャンスを作ってあげる、そんな気持ちで立ち合うと、来るのも見えるし来ないのも見えて、来るのを受け流す事も以外と出来る。イニシアチブを握った稽古が出来るのだ。「打って来いよと迫る」は相手を動かす我が動きなのだ。一拍子に鋭く飛び込む技も、ちょっかい出して二拍子に行く技も、殺意を持たずに身体を動かす気持ちが大事だ。歌の文句にもあるではないか、勝つと思うな思えば負けよ、打つと思うな思えば負けよ、打てと迫れば打たれず勝つよと。剣先に力を込めてぐいぐい激しく攻めて来ないけど、何にもしないようだけど、打たないようだけど、ただ体が迫って来れば何だか恐い。何するか相手の気持ちが良く分からず怖いというようなイメージの剣の使い方が出来たなら、少しは豪剣に近付けるかな。打つを勝つを求めて稽古して、勝つを忘れて試合が出来たなら最高だ。


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