スウ・ドン剣法免許皆伝63東京剣道祭の反省を踏まえて

八段審査をイメージして、大きな声を出して我慢の剣道をしようと取り組んだ。。結果引き分けだった。大きな誤算があった。剣道祭は試合であったということだ。審査なら必ずいつか出てくるから我慢比べが生きてくるけど、試合は打たれたくないから、簡単には誘いに乗ってこないし、相手も出鼻を待ってるので、一本になる場面が中々出てこなかった。突っ張ることが男の勲章と歌の文句にあるように、戦う為の突っ張りが足りなかった。というか、そういうことをやめようとしている最近の立ち合い稽古だった。しかし試合はやはり勝たなければ満足しないものだ、引き分けでも喜びはない。互いの実力が拮抗している相手は誘いの動きには簡単に乗ってこない欺されない。本気の打ち気を見せた時審査で求められる出鼻の技をと出てくるのだ。その部分が弱かったと反省した。美しい姿でたたずんでいるだけでは、お互い何もせず何も出来ず終わるだけだ。はてさてそれではどうしたら。長渕剛の歌に「気張いやんせ」というのがある。頑張りなさいという意味合いである。深く読めば、我を張りなさい、主張しなさい、突っ張りなさいということでもある。気を張るとは、張るとは。張るはイメージとして、大きく膨らむ感じがする。「やる気満々」「打つ気満々」に溜めた気力の風船がお腹の前からどんどん膨らめば、相手は何だこれはと恐がって突っついてくるのでは。そしたら風船は爆発的に破裂して相手をなぎ倒すだろうそこを打つのが出鼻技の心だ。まあ、そんなことを意識して稽古して見たら、とても上手くいった部分はあった。それでも「歯が立たなかったO先生」に久しぶりに稽古をお願いしたが、またもや歯が立たなかった。「チックシヨー」と叫びたくなった。まあしかし「負けは楽しみの始まり」だ。また脳みそに楽しく仕事をしてもらおう。人をやっつける為に考える事は君の楽しみだろう。それこそ頑張ってもらわねば。というのに、コロナよコロナよ!無念の涙噛み締めて、自作の思いっ切り叩き台でも叩いて「ウサ」ではないが気を晴らして気を張るか。

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