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絶対にポップコーンが減らない映画。

シシ神様が、音もなく湖面を渡って登場するシーン。

劇場内は文字どおり無音状態だった。

というより、観客全員が息を押し殺していて、

今にも爆発しそうな限界ギリギリの無音状態だった。

ポップコーンをかじる音はおろか

鼻をすする音も、呼吸音の一つもしなかった。

(目の前の男性がしきりに目薬をさしなおしている以外は)


そうか、私たちこれを観ながら育ったんだ。

それが「もののけ姫」を映画館で観た一人の日本人大学生の感想。


「むかし、この国は深い森におおわれ、

そこには太古からの神々がすんでいた」

最初の深い山々が連なっているシーンでこの文字が現れた時、

劇場内の人間一人一人の背筋がぐっと正されたというか、

ここから、私たちを私たちにした何かが迫り来ることへの畏怖みたいな気持ちが押し寄せてきたというか、

そんな張り詰めた空気を観客みんなが可笑しいほどの一体感を持って共有していることへの興奮の波に飲み込まれて、

なぜか既に泣きそうだった。


アシタカがヤックルにまたがって、

西へと旅立つシーンの荒々しい美しさ、

その壮大な音楽。

歳をとったことを思い知らされるのは

幼い頃は意味不明だったセリフの一言一言が

聞き取れるようになっていた事実。

(曇りなきまなことか、ジコボウがお粥すすりながら話してることとか、

金一粒でみんなが大騒ぎしてるシーンとか

小さい頃はもう意味わからなくてとりあえずただ観ていた)


物語の最後に現れた

     監督     宮崎駿

の文字。これを見るために誰もが椅子にへばりついていたと思う。

面白かったとかいうレベルじゃなくて、

これが日本で育ったということなんじゃないかと思ってしまう。

アイデンティティの形成とか日本人感とかよくわからないし

普段は議論してもあまり言うことが見つからない私だけど

とりあえず

崩れ落ちる昨日までの暮らしを見ながら

「生きてりゃなんとかなるっ」って言い放ったタタラ場の女たちの強さとか

死んだはずの山がまた新たな芽を息吹かせるシーンにたつ鳥肌とか

アシタカせっ記の荒くも美しい音楽に涙が出ることとかが

日本を感じるってことの一つなんじゃないかななんて

大げさなまでに正直に思った。

ジブリは、

多分日本人のDNAに組み込まれてるんじゃないか。


劇場が再び明るくなったあと、

あちこちから感嘆のため息が漏れていてびっくりする。

こんなに人いたの?!

あんなギャルみたいな子たちも観に来てたの?!

「ジブリやっぱすげー...」

の一言しか出てこないのはみんな同じなのねとか思いながら

フラフラと私たちは退散。


コロナ後の営業不振の打開策として、多分絶対みんな観たいジブリ4作品を

特別上映してくれたんだと思う。

座席も密を防いだ1マス開けだった。


あなたにとって日本人であるとはどう言うことですか?

いかにもって感じに物議を醸しそうな質問をされても

よくわからん、がいつもの私だけど


「ジブリを見るとポップコーンが減らないということ」

が、なんとなく今言えそうなことかもしれない。











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