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私の丸顔

「メロンパンみたいにまん丸やなあ」

小さい頃、おばあちゃんに言われたことがあります。

あんたの顔、まん丸や。


それ以来、確かにまん丸だ。鏡を見るたびに思うようになりました。

赤ちゃんの時の写真を見ても、リンゴのようなほっぺたの顔はまん丸で

物心ついてからずっと、自分のまあるい顔が気になっていました。

赤ちゃんの時


中学生になってから、その丸顔はコンプレックスに変わりました。

高校生になると、その丸顔は「できない理由」に変わりました。


このまんまるい顔のせいで、友達作るの下手なんだよなあ。

このまあるいほっぺたのせいで、彼氏とうまくいかなかったんだよなあ。

この丸顔のせいで、あの人に嫌われるんだよなあ。


丸顔じゃなくて、綺麗な三角の顔だったら

私の人生はもっともっと絶好調なんだ。鏡を見るたびにそう心でつぶやくようになりました。

顔の形を変えようと

体操教室に通ったり、眉をへの字にしながらお化粧を練習して見たり

丸を隠せる髪型にしてくれと美容師さんにモゴモゴ頼んでみたりしました。

好きだったメロンパンを宿敵にして拒否してみたり

ダイエットならぬものを試してみたり、甘いものに対して罪悪感を持ってみたり。

ガトーショコラ

でも、結局最後には

やっぱり丸い顔の自分が鏡に映るのです。

メロンパンかあんぱんか、言われようは人によるものの、やっぱり笑うとまるーっとした顔の自分が写真に写るのです。


「真帆は丸顔だからなあ」

と夫にまで爽やかに言われた時、私はふと思いました。


人生がお日様のように輝いている時も、風が吹き荒れている時も

私は丸顔なんだよな。


スパイスの効いたほっぺのとろけそうなカレーを頬張った時も

一生愛し抜け合えると思える人と出逢った時も

底知れぬ寂しさに眠れなかった時も

明日が楽しみでたまらなかった時も

私のまあるい顔は私と共にあったのです。

キャロットケーキ


もっと遡って考えてみれば

江戸時代にも奈良時代にもそんな丸顔を持った私のご先祖様がいたかも知れません。

その子が丸い顔をどう思っていたかはわからないけれど、

私にまで命が繋がっているのですから

その顔と共にきっと一生を歩んだに違いありません。

晴れの日も雨の日も。


そう思うと、

丸顔が少し好きになれました。

大好きだったメロンパンに、一度は憎き敵だったメロンパンに

また美味しいとかぶりつけるようになりました。

にこーっと顔中で笑えるようになりました。


完璧な顔の形なんて持ち合わせていないけれど、

それでも今日を生き生きと生き抜ける自分に気づいたからです。

丸顔でも幸せな自分に気づいたからです。

コンプレックスだったその丸い笑顔を

愛してくれる人々がいることに気づいたからです。

そら1


この前、

久しぶりにおばあちゃんにあった時、ぽつりと言ってみました。

「私、メロンパンみたいな顔やなって言われたことあるんよ」

「メロンパン?」

おばあちゃんは素っ頓狂な声でオウム返しすると、あまりにもあっけらかんと言いました。

「そんなこと言う友達いてるんか。こう言うてやり。

メロンパン、美味しいよおって」

自分で言ったってすっかり忘れてるんかい。

でも胸の中で

ずっと焦げ付いてたメロンパンが

甘い香りをふわっと嬉しそうに漂わせるのを

感じた私なのでした。








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