空を読む暮らし
私が好きな生き方の一つに「空を読む暮らし」がある。
オーストラアリアの大草原の中に、羊農家の家族と暮らしていた時 夕暮れ時に話すことはまず、今日吹いた風の行方についてだった。
「今日柔らかい風がこの向きに吹いたから、明日は丘の向こうまで羊たちを移動させよう」とか
「強い北風が雨を連れてくるだろうから、早く子羊たちにミルクをやりに行こう」とか。
私がいくら目を凝らしても見えないものが、彼らには見えていた。
彼らが風の行方を、空を読んで追っている時
私はいつもそこに本物の人間を見ている気がして 静かに胸が波打つのを感じていた。
北海道の十勝の里山で暮らしていた時も同じだった。
ポツンと山際に建てられた小さな集会所に
里の農夫たちが集まって
ビール缶片手に話すことはいつも空についてだった。
「こっから内地(本州)の方から低気圧が北上してくるらしい。雨にやられる前に小麦を刈り終えねえと」とか
「今日はよく星が見えてるから、明日の朝は相当しばれるなあこりゃ。牛舎の窓閉めとかないと」とか。
私には見えない、でも太古の昔から
確実に私の隣にある何かが見えている人々がかっこよかった。
株価でも、政界の動きでも、国際情勢でもなんでもなく
ただそこにいつもあり続けた 空 を読み続ける暮らしに憧れた。
そして今。
私はこんな感じ。
毎朝テレビの前にへばりついている。そして叫んでいる。
「はっ快晴?!お昼からサンサンと太陽が顔を見せる!?みんな蕎麦が食べたくなる暑さ!!?(言ってない)混むじゃん(バイト先の蕎麦屋が)」
とか
「お昼から土砂降りの雨!よかった、今日ホールの人数キツキツだから助かる〜」
そう空を見て叫んでいる。
願ったり叶ったりとでも言っておけばいいのか。
そんな空の読み方があっても、まあいいよね。
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