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【備忘録】 海警法(Coast Guard Law)のもたらす安全保障上の影響と日本の政策対応について

1月22日中国の全人代常務委員会で可決・成立した海警法が、2月1日に施行されました。
同法は、中国が管轄権を主張する海域において、中国の主権及び海上権益を保護するために、中国海警局に武器の使用(use of force)を含む海上法執行を認める規定(海警法46~50条)が盛り込まれています。中国が管轄権を主張する海域、すなわち九段線(Nine-Dash Line)は、日本が領有する尖閣諸島だけでなく、海洋法上公海(high seas)と位置付けられる広大な領域を含んでいます。もちろん中国のこの主張は海洋法に適合的ではありませんが、海警法はこうした海域において中国公船の違法な武力行使(武器の使用と同じくuse of forceと表現されますが、かたや海上警察権の行使(UNCLOS 107, 110, 111条等)の一環としての武器使用と、武力不行使原則(UNC2条4項)に抵触する違法行為とで意味は全く異なります。)を加速させる懸念があります。

海警法の制定当初の反応

では具体的に、海警法は日本の安全保障にとってどのような影響を及ぼすでしょうか。施行当初日本の外交安保コミュニティの反応は、海警局の武器使用国内法上の正当化を与えるという側面が大きく、日本の海自にとって現場レベルでの大きな変更はないという見方が大勢でした。自衛隊は「中国海警は根拠法があろうがなかろうが、何でもしてくるという前提で対処してきたのだから、追加的に生じる現場レベルでの影響はほとんどない」という見解も見られました。
日本も政界の反応も同様に穏健でした。日本政府は、海警法が「国際法に反する形で運用」されるのではないかという懸念を表明し、中国側との協議に当たりましたが、海警法が「国際法違反である」という明確な言及を避けています。また、「護る会」などの保守系議員グループの議論においても、「領域警備法」の制定により自衛隊の武器使用の権限を拡大することを提案するにとどまっており、中国公船による武器使用を武力攻撃(armed attack)とみなし、自衛権の行使要件を構成すると判断すべきという見解に対しては、中国とのエスカレーションを招く懸念から慎重な姿勢が示されました。
ほとんどの論者に共通していたのが、海警法がもたらす問題を島嶼防衛へと、海洋法の用語を用いるのであれば、領海(the territorial waters)における無害でない通航を行う中国公船にたいする保護権(Rights of protection)行使(UNCLOS 25条)の内実へと、矮小化する前提でした。たしかに、多くの日本人にとって海警法が最も重要なインプリケーションを持つのは、尖閣諸島の防衛の文脈で語られるときかもしれません。しかし、私は海警法の持つインプリケーションとして最も重要なのは、同法が海洋法秩序そのものに対する挑戦であるという点にあると考えます。

海警法の制定は海洋法秩序そのものへの挑戦

まず、海警法によって影響を受けるのは領海だけではありません。むしろ公海における活動への影響の方が大きいかもしれません。本来公海において、軍艦及び公船には管轄権免除(UNCLOS95, 96条)が与えられています。換言すれば、公海においては、敵対する軍隊同士であっても合法的な海上執行措置は行えません。ただにらみ合いの状態が続くだけです。
しかし、今回の海警法の制定によって、海警局は公海を航行している日本やアメリカの軍隊に対して、そこが中国が領有権を主張する海域であれば、一方的に武器を使用できる国内法上の正当化を手に入れることになりました。公海において武器使用を行う中国公船に対して、日本やアメリカの軍隊は、前述したUNCLOS96条の管轄権免除の規定により海上執行措置を取れないため、その場で有効な対抗手段を取ることが難しいという事態に陥ります。
もちろん公海において中国公船が日本公船に武器を使用することは明確なUNCLOS96条違反になるため、海警法が「国際法に違反する形で運用される可能性がある」のではなく、海警法の存在自体が「国際法違反である」ことは明白なわけです。この点について中国政府は「国際慣例と各国の実践に合致している」と主張していますが、そんな国家実行は蓄積されていないのでほぼ無理筋です。
さらに、中国公船の武器使用を武力攻撃とみなし自衛権の行使要件を満たすと判断しない限り、日本を含む中国以外の海軍は有効な対抗手段も取れない状態でそれに対峙するしかありません。たとえば航行の自由作戦など、海洋自由原則という普遍的価値(universal values)の促進のために行われる活動中、海軍はいつ海警局から武器を使用されるか分からない、かつ、どのように対処すればいいのか分からない状態に常に晒されることとなります。これは、海洋自由原則を普遍的価値の一つとして位置づけ、その普遍的価値の拡大を政策の三本柱(three pillars)に位置付けている日本の自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP Vision)にも深刻な影響を与えることになります。

幅広い政策対応を

ではどのような政策対応が求められるでしょうか。私はいくつかの方法があると考えます。


A.法律戦(lawfare)を本格化させる
UNCLOSは今や条約としてだけではなく、すべての国が遵守を求められる慣習法(customary international law)としての性質を備えています。したがって、海警法の制定はもはや中国の国内管轄事項ではなく、海洋法秩序への挑戦として、沿岸国だけでなくすべての国に影響する国際的関心事項である(したがって、内政干渉(UNC2条7項)に当たるという批判は避けられる)と考えられます。こうした法律問題(legal question)に対して、総会を含む権限を付与された機関(duly authorized organ)はICJに対して勧告的意見(advisory opinion)を要請することが出来ます(UNC 96条)。もちろん勧告的意見を与えるかどうかの裁量権はICJにあるので(ICJ規程65条)、それをやったところで100%の確率で海警法の違法性が確認される、というわけにはいきませんが、日本など影響を受ける沿岸国が中心となり、海洋自由原則に価値を見出す同志国(like-minded countries)と結託して総会にこの問題を持ち込み、勧告的意見を要請する決議を可決させることは、大きな意味があると考えられます。
ここで懸念となるのが、国連における中国の影響力拡大です。今や世界一の資金の拠出国となっている中国が、総会において妨害工作を展開することは容易に想像できます。日本はアメリカなどに働きかけ、国連への予算拡大やカギとなる国々への呼びかけをより一層促進していく必要があると考えられます。
昨今、国連の必要性について否定的な意見が散見されるようになっています。それは一部、コロナ禍における財政負担の増加などを背景にしたものだと考えられます。またそれは一部、中国の影響力拡大を背景にしたものと考えられます。またそれは一部、国連の掲げる理念に対する根本的な懐疑にあると考えられます。しかし、そうした懸念を理由に国際法を管理・運用していく場所としての国連について日本が無策を貫けば、それまわりまわって日本を不利な状況に追い込むことを意味します。いまこそ、国連をどのように活用するかという体系的な戦略の見直しが求められていると思います。


B.シグナリングにより抑止を機能させる
海警局の公海における武器使用に、その場で、かつ直接に対抗する最も有力な手段が、自衛権行使であることは今や否定できません。フェアロン(James D. Fearon)のいうtying hands戦略を応用し、日本政府が中国公船の武器使用に対する自衛権行使を示唆することは、抑止の信憑性を高めるシグナリングとしても非常に重要な意味を持つと考えられます。
ここで問題になるのが、エスカレーションの問題です。つまり、自衛隊による均衡性(proportionality)原則及び必要性(necessity)原則を満たす自衛権行使が、中国政府の裁量によって全面戦争へと意図的に拡大させられるリスクが存在するということです。最終手段(last resort)として海自による自衛権行使という手段を備えておくことは重要ですが、それだけでは政策の柔軟性に欠けると考えています。この欠点を補うために次に述べる政策対応が求められます


C.対抗措置(countermeasures)を充実させる
他国による国際法違反に対しては、被害国は当該義務の履行を促すために武力による威嚇又は武力の行使を除く(ILC-Draft 50条)対抗措置を取ることが出来ます(ILC-Draft 49条)。また、被害国でなくても違反された義務が国際共同体全体に対するものである場合(ILC-Draft 48条)、対抗措置を取ることが出来ます。こうした対抗措置の規定に基づき、日本国内の中国資産の差し押さえなど幅広い非軍事的手段を用いて、海警局の動きをけん制することで、エスカレーション・コントロールを促し、政策に幅広い柔軟性を持たせることが出来ると考えられます。

ただ単に、海警法の問題を島嶼防衛に矮小化するのではなく、また政策対応を武力行使の問題に矮小化するのではなく、既存の海洋法秩序への挑戦という文脈から問題を捉えなおし、非軍事的手段を含めたより幅広い政策オプションを検討することが、日本の安全保障政策にとって最も重要であるように思われます。外交安保に興味がない方でここまで読んでくださった方は、専門的な内容ばかりで申し訳ありませんでした。近況報告などもう少し楽しい話題を持ち込めるように努力いたします。外交安保に興味がある読者の方は是非ご意見をください。記事そのものへの反応であれ学術的な反論であれ、私にとっては大変勉強になります。とりあえず備忘録はこの辺で筆をおきます。

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