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本の声とナッツのかおり

うちの近くの古本屋の話なんですが(最近うちの近くの話しかしてないですね笑)。そこは六畳も無い小さな本屋でして、私が住んでいるアパートメントが家賃五万円の七畳半1Kなので私の家よりも面積の狭い店内には私の二倍ほどの背丈をした本棚が堂々と、でも威圧感は持たずに立ってます。そしてその本棚にもまたひとつひとつの本が堂々と居座っています。その本たちは誰ひとりとして客に読んでもらいたいなどと媚びてはいません。本たちは本たちで本の世界観の中で生きています。耳をすませば本たちの、やれ俺の作者がどうだ、俺はまだ新書だ、俺の方ごがお前よりもいい紙で刷られている等、会話が聞こえてきそうです。私はその本たちにえも言えない魅力と憧れを感じます。それは私だけではありません、この古本屋に立ち寄る人々はもれなくそう思っているに違いありません。なので、その六畳に足を踏み入れた人々は本屋だというのに、みなまずは耳をすませます。店内にはBGMなんていうものは流れていなくほんとうに聞こえてくるのは、近くの肉屋の店主のダミ声や隣の小さな電気屋のテレビの音だけです。それでも毎回毎回まずは耳が仕事をします。その次は人によって様々です。すぐに目に意識を持っていき本を本として見るもの、嗅覚を働かせ古本特有の香りを堪能するもの、本の触感を感じる人。私は最後にあげた、触感をたのしむ人は助平だと感じます。こういう人は人肌に対しても触感を重視するのではないかと感じてしまいます。私はというと、聴覚の次は

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