変な発言をしたくなる時がある

こんにちは。

めっちゃ真面目な空間の時にいつもは発言しない私が変な発言をしたらどういうような気持ちになるんだろうと思ってしまう。けどそんな発言をすることもない。なんか想像で物語を語っているんだがなんか満足していない。

変な発言というのはそんな禁句なことではなくてすごい幼稚な発言をしてみたい、というものだ。全然言ってはいいものなのにその後のことを考えてしまう。それだったら本当に心を開いている人ならいいのだが本当の本当に開いている人は家族しかおらず友達はいない。

単純に裏切られるのが怖いだけなんだと思う。まだ私は価値がある人間だと思いたい。誰もなにも気にしていないのは知っている。それだから余計に傷つく。誰も見えていないナイフが心に刺さっているような気分である。人の目を気にすることがなかったらどのような人生を歩めていたのだろうか。想像が想像を膨らませて自分を傷つけているんだろう。私は標準の人間だ。努力をして克服しないといけない身分なんだろう。なんか精神病でそういうのがあればいいのに。過度に自分のことを考えすぎる。

有名人や芸能人の炎上を傍観者で見ている時に何をしているんだろうかと思ってしまう。私はなにか無駄な時間を過ごしているという気持ちである。有名人ではあるわけではないし、もっとも有名人になることもないでしょう。私は本当に何をしているんだという気持ちになる。追い詰められているわけでもない。毎日生きているが毎日無駄な日々を過ごしているほかならない。私は毎日毎日「だめだったな」という反省をもうずっとしている。良かった日なんてなくて必ず寝る前に自分の発言や行動を思い返して「〇〇がいけなかったな」「私は駄目だな」と思って朝起きる。その時はいつも気分が沈んでいる。また駄目な一日が始まるのだと思ってしまう。

一日一日に良し悪しをつけ始めたのはいつからだろうか。圧倒的に悪い日がほとんどでたまに褒められたり自分でも頑張ったなと思う日もあるがその日も悪い日だと自分で定めている。

自分で自分を苦しめてなにがしたいのだろうと思ってしまう。他の人は楽観的でいいな。一日一日に精を出していないなと思ってしまう、他人と自分を比べても自分の悪いところしか出てこないのに何をしているのだろうか。比べれば比べるほど自分が辛くなることがわからないのだろうかと。悩ませる。

明るいテレビ番組がなんか嫌になった。テレビっ子な私は家に変えると課題のことは忘れて毎日テレビをずっと見ていた。けど有名人や芸能人の表情や行動、発言を見ていると私は何をしているのだろうという気持ちになってしまう。私は得がないのに。さっきの炎上の件と同等の内容である。そのためテレビは自分には明るすぎるものとなってしまった。静寂な空間が自分には似合っていると思っている。孤独というものだろう。

最近は朝がくるのが怖くなった。時が経つのが怖くなった。いつのまにか時が過ぎて私は自立しなければならない時がくる。私は社会の荒波に揉まれるのだろう。自分に自信がなくなっている。朝が来ればまたギリギリで生きている今日が始まる。気負いすぎなのは自分でもわかっている。最近は客観的な見方ができなくなった。自分が悲劇のヒロインだとも思っているのかな。そんなわけはない。私より辛くて悶てる人がいる。私は生きているだけで十分である。そう言い聞かせる。

明日もなんとか頑張ろう。

では。

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