「しない・やらない」をやってみる

 「終活とは、確かに自分の死への備えであるが、ひいては今をどう生きるか、自分の生きる姿勢について考え、それを日々実践することでもある」というような内容の文を、netで目にした。ああ、そうだなあと、私は思った。

 おひとり様生活にも少しは慣れ、自分なりの日常、ルーティンができて来たのを感じている。具体的には「読む・書く・聴く・考える(思いを巡らす)」これらがメインの一日。そこに、生命維持、健康維持のための諸事、が割り込む。
 
 思いを巡らす。おひとり様になるまでは、自分以外の存在について、又、その存在との関わり方について、あれこれチクチク、クヨクヨ考えることが多かった。他人に気を遣い過ぎて、疲れてばかりいたと言える。
 翻って、24時間全て自分の時間、の今は、これまで以上に、我が身を思い巡らすようになった。「メタ認知」と呼べば聞こえは良いが。その、我を見つめる自分の目は、相変わらず年中無休らしい。ただ、ダメ出しはしなくなり、そこは進歩と思う。
 そうして眺め、思いを巡らせると、未だ毒親たちからの呪いに縛られている自分が目に付く。何かをやらなくちゃと、気持ちが駆り立てられている時は大抵、この呪縛に絡め取られている。
 そこで考えた。これからは「やらなくちゃ」を意識的にやめて「しない・やらない」を心してやってみようと。それは例えば「頑張り過ぎない・無理し過ぎない・気にし過ぎない・我慢し過ぎない」恐らく、まだまだある。

 「○○し過ぎない」こればかり。書いてみて気が付いた。それだけ自分に、キャパオーバーを課していたんだなぁ。頑張ったね、自分。もういいよ、自分。お疲れ様、自分。これからは、頑張りたければ頑張り、無理したければ無理をし、気になることは気にし、気に病むことはせず、我慢したければ、我慢する。嫌になったらやめる(辞める・止める)、病まない内に。
 「しない・やらない自分」を認める。「やらなくちゃ」との思いに駆り立てられた時は、あえて時間を置いてみる。そして、これらを「来年の目標」ではなく、今から実行することに設定してみる。「実行しなくちゃ」ではなく「まあ、やってみるか、できたらいいな」の気持ちで。

 これができたら、どんな景色が見えて来るだろう……。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?