過去・現在・未来(明日は我が身)

 ある日の午後、いつも利用するバスに乗っていると、途中のバス停で、車椅子ユーザーがバスを待っていた。当然、運転手はそれに対応した。スロープを出し、車椅子(と乗客)を車内へ移動させ固定した後、スロープ収納と、それなりに時間を要した。すると、車内の後ろの方から「早くしろよ!!」と、罵声が飛んだ。
 車内の空気が、一瞬強ばるのが分かった。皆、無言だった。私も。
 が、その言葉を聞いて思った。「明日は我が身」かも知れないのにと。
 車椅子の方が何故そうなったのかは分からない。けれども今、車椅子を必要としない人(私も含め)が、この先もそうであると、誰が保証できようか。何らかのできごとによって車椅子ユーザーになる可能性は、全ての人間にあるのではないか。
 怒鳴りつけた乗客は、自分はそうはならない、なったとしても、外出はしない、公共交通機関も利用しないなどと、強弁するのだろうか。
 
 支援や援助、介護を必要とする人だけでなく、乳幼児から高齢者まで、批判や非難にさらされない日はないに等しいような昨今。そうした存在を、無条件に受け入れるべきとか、意見を述べてはならないなどと論じるつもりは全く無いが。

 大人にだって、乳幼児の時期は確かにあった。その時、周囲の人々を不愉快にさせていたかも知れない。そして赤ちゃんは、永遠に赤ちゃんのままではない。生きていれば、ゆくゆくは高齢者だ。過去、現在、未来はつながっている。クロノスの「時」は、途切れることなく、ひたすら進み、未来は現在に、現在は過去になって行く。その中に、ヒトも在る。

 いつか来た道、いつか行く道。明日は我が身……。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?