心理的安全性

 他人(ヒト)にものを尋ねたり、相談したり、頼んだりするのが苦手、と書いている内に、さまざまな思いが浮かんで来た。そして、そんな私でも、これが出来る相手がいる、出来た相手はいた、と気付いた。
 それは、拒否される思いが先行しない相手、隠された、ネガティブで攻撃的、私を怖気づかせるようなメッセージを感じなくて済む相手、だ。 
 そのヒトとのさまざまなやり取りの中で、私が肌で感じ取った「心理的安全性」が確保されている存在。それを感じられる相手がいること、いたことに、深く感謝している。

 こう書いている今、亡夫と出合った頃の自分の心、を思い出している。いつかも書いたが「このヒト(=亡夫)が『何でもないョ』と言ったら本当に、何でもないんだ!このヒトの『大丈夫』は本当に、大丈夫なんだ!!」こう気付いた瞬間の驚き、その衝撃が鮮やかによみがえる。私にとって、それはまさに「驚天動地」のできごとだった。毒親たちからも、別れたDV夫からも、ダブルバインドのメッセージ、暗黙のメッセージを押し付けられるのが日常茶飯事だったから。そこに「心理的安全性」など、あるはずが無い。
 これももう、何遍も書いてしまうが、亡夫とのやり取りの中で、私は癒やされ、心身共の健康を取り戻して行った。又、ゼロ百思考、黒か白、しか無かった価値観も、ある程度は手放すことが出来た。ものごとはグラデーション、白と黒だけではないという、真新しい価値観を、多少は身に着けられた。時を経て「ネガティブケイパビリティ」を、すんなり受け止められたのも、この故である。

 更に考えを進めたら「『みんな』と仲良くしろ」こんなメッセージを、毒親たちが発していたのを思い出した。苦手なヒトや、明らかに自分を脅かすヒトとは、距離を取っていい、とは言わなかった。「自分を護る、護っていい、まず自分をこそ、大切にする」そんな価値観は、亡夫と出会うまで、どこにも無かった。だから私は「自分(の心)を殺してまで」周囲に過剰適応し、背伸びし、無理をしていた。そうすれば生き延びられると、無意識で感じ取っていた。
 が、みんながみんな「いい人」ではなかった。私をモノ扱いし、私からありとあらゆるものを搾取しようとする輩もいた。その最たる輩が、別れたDV夫。そういう輩からは、さっさと離れるのが一番だったのに私は、自分が心身共にボロボロになるまで、それに気付かなかった。もうムリ、離れない限り、自分が死んでしまうと感じるまで、我慢してしまった。

 心理的安全性を感じられない相手に、恐怖を覚えるのは当たり前。そんな相手に、何かを尋ねたり、依頼したり出来なくて当然。ましてや、甘えるなんて、とんでもない。出来るわけ無い。

 「ヒトを見てモノは言え」これも、毒親たちがよく言っていた言葉。「みんなと仲良く」と、散々言い聞かされて育った身には、完全なるダブルバインドだ。が、数少ない毒親からの「この世の真理を言い当てたメッセージ」として今、受け止めている。

 誰彼構わず、相談したり、依頼したりする必要は無い。心理的安全性を感じられる相手にのみ、それをすればいい。出来ない相手がいるのは、仕方がない。自分の力や努力が足りないのでは無い。

 と、まあ、こんなふうに書けるのも、今はもう無職だからか。まだ仕事をしていたら、と思うとゾッとする。それでも仕方がない、仕事と割り切って、相談も、依頼も、し「なければならない」「せざるを得ない」時もある。それが、心理的安全性を感じられない相手だったら、相手の反応を予測して臨もうか。あたかもゲームのように。そして、予想通りの反応だったら、自分の予測変換機能?の優秀さを、心の中で、自画自賛するとしよう。

 実際働いていた間は、こんなふうに考える余裕など、無かったけどね。

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