鬱、始めのはじめ

物心ついてから、一番不可解だったのはあの出来事だ。家は毎年年始に初詣がてら浅草にある父方の実家に行くのが通例だった。これは後々知るのだが、実は父親は長男だけれども他の兄弟姉妹達とは腹違いで、よって浅草の実家の祖母は父親にとっては継母だったのだ。

それに影響を受けたのかどうかは知らない。が、いつだったか一回、私が酷くそこに行くのを嫌がり、行かなかった年があったのだ。記憶は断片でしかないが、当時の私が思った事の一つが”お年玉をせびりに行くようで嫌だ”というのと”私がいない方が家族は幸せである”というもの。

何を見て、そう感じ取り、泣いて行くのを嫌がり、その年は同行しなかったのか。

ちなみにその年は姉と弟と故兄と父親が行き、後々こういう事があったと楽しそうに話すのを見て”やっぱり私がいない方が楽しい時間を過ごせるんだ”と認識を強化したのだ。この出来事は小学校いくかいかないかの年齢だ。全然子供らしくない考えだ。

ちなみにこの年が兄が同行した最後でこれ以降兄は同行する事がなかった。

母親は一緒に行った事がない。なんでも昔に行った時に祖母に何か嫌味を言われ、それ以来行くのをやめたそうだ。

随分後になって思ったのだが、いくら父親の実家とはいえ、何か手土産の一つくらい持参するものですよね?そういえば全く無かった気がする。

もう一つ。いつも15時くらいに向こうに着いて、大体19時ころにはおいとましてた。他の親戚の人たちはもっと遅く来て、私達が帰る頃もまだ居た。

帰宅出来る距離に住んでいたから、というのもあるだろうけど、他にも理由があったのだろうか?

父親にはやはり腹違いという見えない壁みたいなものはあったようではある。

疎外感。理由はわからない。わからないが、強いていえば相性。この家族との相性。この家族と私は、疎外感を感じる相性なのだ。もっといえば、前世絡みで何かを学び得るためにこの家族の次女として生まれついたのだ。そういう考えに到った。

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