私の3.11備忘録−4

スーパー勤めの私も連日忙しかったが、彼(今の夫)はもっとだった。
運送業。10㌧トラック転がせる。
災害が起きると救援物資を配送するための救援要請がくる。詳しい事情は知らないが、要請を受けるにつけ、受けないにつけ、一部の車及び付随する運転手がそちらに回される。
が、関西以降方向の荷物は普通にあるわけで(もちろん災害地からの荷物はないけれど)それは運ばなければならない。支援要請に回った分の穴埋め、という事で、運送業の仕事も又、忙しくなる、という事だ。しかも仕事は一部中断される訳で、配送の運行表も狂い、それの修正、あるいは迂回路が渋滞したりで遅延が生じたりする。

という事で、地震当日以降、一ヶ月近く会えなかった。時折電話がかかってはきていたが、どうやら計4回、支援物資を運んだらしい。

夫いわく”何にもなかった”

夫は運送業長くしており、北は北海道から南は沖縄まで全国網羅していた。当然、東北も行っており、その風景は記憶にあったはず。その夫が「本当に何もなかった」と言っていた。
ちなみにマスクを10㌧満載に積んで行く途中、何か瓦礫を踏んでしまったらしくパンクしてしまったらしい。その時待機していた自衛隊が即、タイヤ交換してくれてものの5分で交換終了。送り出してくれたという。又、現地についた時も待機していた災害救援(ボランティア?)の方がすぐに荷物(マスク)を下ろしてくれたので、仕事的には”楽だった”とのこと。(普段はパンクすれば自分で交換はもちろん、荷物の積み下ろしを自分ですることもあるから)

あ、でも”放射能漏汚染しているかもしれない地域”を通った、ということは付け加えておく。

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