マスク問題と時計仕掛けのオレンジ

昨今のマスク問題。

マスクしていない事を任意だとか義務ではないだとか屁理屈コネて周囲に迷惑かける人。
主張なさるのは勝手なんですけれどね、やはりこういう人達にでも、迷惑を被る周囲の人の、それでも色々な不利益をこの人が被らないよう心砕いていると思うのです、
この記事のように

裏|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/nec26447ee82c


マスクをきちんとしてる、していないなど通年であったのならば問題ではなかったのです。
またこの方も”受験生”なのですから、それまで費やした時間とか、費用とか、犠牲にした何かとかが多かれ少なかれあったわけで、だからこそたかが”マスクの付け方”ごときで、この人の実力とは関係ない事柄で、受験資格剥奪されるような結果を招く事はしたくなかったはずで、だからこそ再三注意したわけです。
でも時世が時世です。だから「こんなご時世ですから、マスク云々・・・」
にも関わらず、この人はその”心づかい”に気づかなかったわけです。自分の主張ばかりして。

時計仕掛けのオレンジという話があります。その人が感じる感情だとか感性だとか、そういったものは各自大きさが違うもので、それをオレンジの房に例えているわけですが、
私の所有している少し古い本[人とつき合う法/河盛好蔵]の一節に「こちらが敏感であることを知ってもらうためには相手も敏感でなければならぬ」とあります。
感じる感性の房が同じ大きさでならないといっているわけです。

参考資料:時計仕掛けのオレンジ|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/n6454eb7d753d


時折こういう人、見掛けますよね。こちらの心づかいに全く気づかない人だとか。こちらの心の機微というものが伝わらない鈍感な人だとか。

誤解を招かないように注釈しておきますが、だからいいとか悪いだとか、そんな事ではないのです。日本人はコト敏感過ぎるので”鈍感力”という本が流行ったりするわけです。

それはさておき、こういう人、はどうなるかというと、当然、周囲はこちらの心づかいが全く伝わらない、敬意を払ってくれないので、私ばかり気を使うのがバカバカしくなっていくので段々と気を使わなくなるし、それが嫌だと思う人が周囲からいなくなっていきます。結果、大体似たような感性の人が周囲に残っていくわけで、酷い場合は孤立していきます。(某国家がそうなっていますよね)

それが自分のせいだとは気づかないので周囲が悪いということになり、ますます孤立していくわけです。

おそらくこの人に「このままだと受験資格が失くなる恐れが在るので、申し訳ありませんがマスクをきちんとつけていただけませんか」と馬鹿丁寧に説明しても『お前にそんな権利があるのか!?』と逆切れするだけでしょう。もしかしたらそれもすでにやっていた後かもしれませんが。

敏感であることを知ってもらうためにはこちらも敏感でなければならぬ、なんて小難しいコト言ってるようですが、そんな事はありません。マスクの付け方を注意されたのであれば素直に謝って直して、そして(注意していただいてありがとうございます)と思っていれば十分なのです。

そもそもオレンジの房の大きさが違うから感じ取れる場所が小さいんだ、と思うと、(やっても無駄なので)こちらもそれに合うような対応に変化していくのは差別でもなんでもないです。こちらの神経をすり減らすだけですから、自分のメンタルを守るというと観点で間違っていないと私は思います。

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