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チバユウスケという男

「チバユウスケ」は、日本人の男の人の中で1番カタカナ呼びが定着してる男と言っても過言では無いだろう。私が、チバユウスケの音楽をしっかり意識して聞いたのは2023年1月。言わずと知れた、「THE FIRST SLAM DUNK 」の劇中歌。The Birthday という言葉は自分の短い人生の中でも数多と聞いていて、このバンドが今自分が聞いているバンドたち、曲たちにもたらした影響は今も止まることを知らないと思っていた。そんな伝説のロックスター。「伝説の」とつけてしまうほど、私は神格化しており、なぜか触れてはいけない敷居の高さを感じていた。初めて劇場に入って、湘北高校と共に流れるLOVE ROCKETS を聞いた時、言葉に言い表せない「ヤバさ」を感じた。多分これがロックンロールなのだろう。とにかく、凄まじく興奮したのを覚えてる。そこから映画自体にハマって、計九回見た。一番覚えてるのは、2024年1月23日。ここで、あー。もうチバには会えないんだな、と思った。すでにチケットを取っていた2023年五月のOTODAMAで、The Birthday が出演キャンセルになったとき、GWのかなり混んだ高速道路で父とかなり悔しい気持ちを吐きあった。「来年こそは見ようね」と。目当てで見たSIX LOUNGE の山口優盛が、「涙がこぼれそう」を歌っていて、それにみんなが歓声をあげていた。それをなんだかすごく思い出した。

 チバユウスケが死んだと知った日、私は学校にいた。先述したSIX LOUNGE の山口優盛の誕生日で、かなり浮かれていた。帰りのHR、本当は触ってはいけない携帯を触った瞬間、絶望が流れた。私が知ってるロックンロールは、全てチバの血が流れたバンドばかりで、チバユウスケの音楽に助けられると同時に、チバが助けたロックスターに救われていた。帰りがけ、電車のなかで、The Birthday を聞いていた。「死ぬなよ」と言うのが最初の気持ちで、途中からは、「本当に死んだのか?」という気持ちに変わった。多くのバンドマン、メンバー、ファンが気持ちを出していく中、自分だけは受け止められず、ぽつりとThe Birthday を聞いていた。 
 
 最近自分の気持ちに折り合いがついて、もう苦しくて仕方なくなってしまった。チバの血を継いだバンドマンが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT やThe Birthday のリフや歌詞を入れる曲を聞くたび、MCで彼について触れるたび、あー彼は、死んでしまったんだな、という実感が湧いてしまった。毎日毎日チバユウスケのことを考えて、毎日彼の代わりを探してる気がする。代わりなんていなくて、そんなことをはわかっていて、でもチバが、生きていたらよかったのに、と思ってしまう。

 いまだにずっと悔しくて、でも音楽を聴くことでしか自分は救われる手段を知らない。結局チバに助けられてる。ありがとう。Thank you Rockstar 。愛してるよ。

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