新津鉄道博物館

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新津鉄道資料館に展示されている蒸気機関車C57-19と200系K47編成

皆様こんにちは。

耀く鉄道日記です。

私は父と行った会津旅行の寄り道として新潟市秋葉区にある新津鉄道資料館を見学して参りました。2013年に大幅に展示車両が増加しました。

大宮の鉄道博物館や京都鉄道博物館、リニア鉄道館に匹敵するほどの博物館です。設置された理由は、新津鉄道の拠点または要衝の地であるからです。

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裏の展示ガレージ 左からE4、115,DD53 485系

では続きまして、当館の見どころと展示されている車両をご紹介します。

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・C57形 19号機(蒸気機関車)

C57形蒸気機関車は、旅客用で高速走行を可能とする機関車として、1937-1947年までに201両が製造されました。

その中で上の写真のC57形蒸気機関車はそのグループの中でも19番目に製造されたもので、1938年1月に製造されました。細いボイラーと大きな動輪からなるバランスのとれたプロポーションで鉄道ファンからは「貴婦人」と呼ばれ。「シゴナナ」の愛称でも親しまれる。

車軸配置2c1(動輪計3個)のパシフィック型機関車。最高100km/h。

現役時代は当館近くの新津機関区に配属され、やまぐち号で活躍中の同型1号機、そして先日の運用で見た180号との顔合わせもありました。

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・200系のk47編成(新幹線)

200系新幹線は、1982年の東北新幹線初期開業時から運用されている初代車両です。

1980年-1991年までに700両が製造されました。先頭部のデザインは東海道山陽新幹線の初代車両0系のデザインを踏襲したものでしたが、1991年にのみ製造された2000番台では100系新幹線のシャークノーズを踏襲したデザインに変更されました。

時には中越地震(2004年発生)にも巻き込まれましたが、耐震性、耐久性があったため車両自身と引き換えに乗客全員の生命を確保したという偉大な業績もあります。

雪国でも耐久可能な強固なモーターと頑丈なボディで未開の北の地を制した新幹線でありました。


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・E4系 p1編成(新幹線)

1997年12月に東北新幹線の東京→盛岡(岩手県)間でMAX(マックス)やまびこ号として営業運転開始。

初代MAXのE1系に続いての2階建て新幹線であるが、このE4系新幹線は2編成連結の8両+8両の合計16両編成かつ2階建てであります。

世界最多の乗客定員1634名は、海外でも類を見ないほどの輸送力です。

しかしボディが大きい分車体が重くなり高速走行に向かないことから2012年に東北新幹線の東京→盛岡間の運用から撤退、そして2021年に上越新幹線へのE7系新幹線車両投入と路線の高速化に伴い、ついに2021年の10月にJR東日本の新幹線の全路線から完全引退してしまいました。

しかし、写真のように世界最大の輸送力で新幹線による大量輸送が可能とされ、当館にこれほど大切に保存されていることに、博物館職員の方々の尽力の賜物。ただただ感謝しかありません。


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・115系(電車)

国鉄時代に製造された直流区間用の近郊形電車です。

1963-1982年まで急勾配の多い線区向けに製造されました。

新潟地区では1976年から配備が開始されました。

2年後には1000番台(改良型)が量産され、

1984年には越後線、弥彦線にまで運用範囲が拡大。

「新潟色」「弥彦色」など独自のカラーリングのバリエーションが豊かになりました。

115系は新潟地区のほか私の住む長野県を走るしなの鉄道、岡山・広島地区、京都周辺でも活躍しています。

しかし、E129系などの新型車両の連続投入により地方路線の代表的存在であった115系も大幅に数を減らしつつあります。


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・新幹線軌道専用車(モーターカー)。



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・485系(特急形電車)


1964-1979年までに1453両が製造され、四国を除いた全国中で交直流特急として活躍しました。

我が国の特急形車両のの代表的存在でありました。

この車両は特急加越(新潟→金沢間)・快速くびき野(新井→新潟間)等の優等列車に使用されました。

最高時速130km/h走行が可能であります。

また、1991年以降、先頭車両のデザインがボンネット式から近代的な流線型のデザインに訂正されました。

現在「華」「リゾートやまどり」として未だに姿を変えながらも現役続投です。その2編成が現在でも現役の485系電車であり、希少で貴重な車両たちです。






 

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