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見るという行為の不可逆性〜映画『悪は存在しない』感想

EVIL DOES NOT EXIST.
悪が存在しないとは果たしてどういう状態のことか。このタイトルこそがこの世に悪は存在すると宣言しているようにも思える。「私は嘘をつかない」と言う人間はその時点で嘘をついている、という矛盾と同じ構造がそこにはある。

この作品内で流れる時間感覚を観客は冒頭で理解する。不協和音を含むストリングスが森の奥深くへと我々を誘う。もうこのまま106分この映像が続くのもいいかな…と思ったところで物語は動き出す。

この監督の前作(劇場公開順は)『偶然と想像』の時も感じたことだが、人間の面白さ、会話をするということの不思議さと愉しさ、もっといろんな世界のいろんな人と話をしたくなる衝動にとらわれる。濱口竜介監督の脚本は魔力を持っている。率直に言ってヤバすぎる。人間ってヤバい。

そして笑えるところも多い。グランピングは近年増加の一途という説明をするくだりで直近2年でガクンと落ちている棒グラフには笑ってしまった。
コンサルと芸能事務所社長とのテレカンは笑ったけれど全然他人事ではなかった。
話し口調とか着てる服とか挙げるとキリがないけれど、何より「もう次のリモート会議が始まってるんで」の一言がリアリティありすぎる。あれを言われた側はもう終わらせるしかないのである。
あとはもちろんうどん屋での「それ味じゃないですよね」「人手はあるんで」は劇場でも一番笑いが起きていた。

高橋と黛が町を再訪した際、巧は薪を割っている最中だった。
「切りがいいとこまで待ってもらっていい?」
と言って、薪割りが終わるまでを我々観客も劇中の2人と一緒に待っていたのは非常にシュールな空間になっていて、こういう瞬間があるから映画館ってやっぱり最高だなと思った。そして高橋が薪割りをやってみる所からその失敗とアドバイスを受けて成功するまでの一部始終を長回しでとらえた奇跡のような時間を共有した。涙がこぼれそうだった。

オープニングで流れた不穏なストリングスはそのままの旋律なのだけれど次第に優しく聴こえてくる。が、そこから物語は急展開を見せる。

鹿の通り道を人が塞ぐ。人を避けた鹿はどこへ行くんだ。どこか他のとことか。それは答えになっていない。野生の鹿は人を襲わない。ただし手負いの鹿は例外。身を守れなければ闘うしかないから。

やがて日が暮れ、町に夜が訪れる。森の中では月の光も隠される。不協和音はまた鳴り始める。そしてぶつっと途切れる。

謎の多いラスト。
巧はなぜあんなことをしたのか?前半の説明会のくだりでは誰よりも冷静で現実が見えていた男。町の住民だって元はよそ者で自然を壊してきた、まだ賛成も反対もいない、大事なのはバランスだと主催側を喝破していた。その彼が完全に冷静さを失ってあんな行動に出た。目の前の現実を受け入れる事を拒否したかのような行動。何が起こったか見てはいけない。見てしまったらそれはその人の心の中で悪意に変わるから。大事なのはバランスだ。見てないから、悪は存在しない。

そしてもやの中から暗転、短すぎるエンドロールを経て観客は現実へと乱暴に戻される。渋谷宮益坂下。見てはいけないものをみた。触れてはいけないものに触れた。という余韻を抱えながら。

これは君の話になる。これは僕の話になる。僕は今何処にいるだろうか。水は高いところから低いところへ流れていく。

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