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さよならサニティ〜映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想

話題のエブエブですよエブエブ。この略し方好きで使ってる人いないと思うけど、かといって常にフルで呼ぶのも逆に何かを主張している気がするし、何より4文字で収まると使いやすいというわけで、あきらめながらみんな使うそんなエブエブ。

まず観終わってすぐに思ったのはいよいよここまで来たかと。これがこんなにオスカーを独占するほど最大級の評価を受けるこの世界(=アメリカ)もいよいよだなと。

時は人新世。すべての人がスマートフォンを持ち、365日24時間繋がることが可能になった。その結果、この人とは繋がる、この人とは繋がらないという選択が生まれ、繋がらないことに何かしらの意味が付与されるようになった。
SNSで動画を上げることで誰でも知名度や収入を得ることが可能になり、何気ない日常に(金銭的な意味での)価値が生まれた。その結果、価値を生まない日常に対してどこか損をしているような感情も生まれた。
それらは本来なかったもの、というよりも、あったけれど誰も気付かなかったものだった。それに気付いた結果、人生においてあらゆる選択肢を選べた自分、そして何かを選んだ結果によって形成されたのが今の自分、という視点を誰もが獲得してしまった。
まさに全てのものが、あらゆる場所で、いっぺんに存在する世界。
そんな今の世界を、いやご時世と言った方がしっくりくるか…をバカ正直に可視化するとこうなってしまうんですという映画だった。

伝えたいメッセージは非常にまっすぐでシンプル。でもそれを混じりっ気なしの純度で正しく伝えるためにはこんなに迂回し婉曲しないと辿り着かない地平がある。こんな手法じゃないとタッチできない心の襞がある。多様性という言葉はもう使われすぎているけど、人種、ジェンダー、家族、言語、果ては非生物に至るまでをまるごと包括して提示し、2時間強にパッケージングしてみせたダニエルズ。何よりもその想像力と創造意欲が素晴らしい。

個人的な感想は、上に書いた通りの「何かを選んだ結果によって形成されたのが今の自分」という現実を眼前に晒されてなんとか逃げたい思いでいっぱいになった。いや自分選んだつもりないですといつまでも言っていたかったが、それさえも許してくれないのかと。
劇中の家族はそこと対峙し、乗り越えて、平凡な日常へ還っていくのだ。自分はどうかと自問する。いや、そんな度胸ないかも…。

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