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終始笑い飛ばして読むのが正解なのかしら~書籍『東京都同情塔』感想

ある事象を言語化すると気分が楽になった経験が僕にもある。以前から僕は何か辛い物や熱い物を食べると全身や頭皮に蕁麻疹ほどではない赤い斑点が浮き出てかゆくなり汗をかくということがあり、しかし何も起きない時もあり、何がきっかけで発症するのかわからずにいたのだが、ある人から「それ、寒暖差アレルギーじゃない?」と言われ、そんな名前のアレルギーの存在を初めて知った。その後辛い物や熱い物を食べるときに意識してみたところ、急な温度差に晒されると起きるという原因を知ることができた。

目の前に起きている現象を言語化することはとても便利で都合がいいし、わかった気分になれる。社内で会議中に急に声を荒げてきた人にそれってトーンポリシングですよねとか、論点をすり替えてきた人にストローマン論法やめてくださいとか、一度は言ってみたいもんだ。場が凍り付きそうだけど。

でこの小説を読んで思ったのは、言語化と建築って似てるのかもしれないということだ。目の前の景色がガラッと変わって、それがなかった頃には戻れないという意味において。

主人公が高校生のころを振り返るくだりが序盤にある。彼女はレイプされたのだが、相手が恋人であり、彼女の方から誘ったからという理由で周りが「レイプではなかった」と判断した。だから彼女はレイプされたことがないことになっている、という話。
東京タワーのネーミングについてのくだりもある。一般公募で最も票を集めていた「昭和塔」ではなく、ある審査員の鶴の一声で応募数13位の「東京タワー」に決まった話。

どちらも意に反した決定についての話だ。そして、最終的に残った名前や事象以外には誰の心にも刻み込まれず、残ることはない。Unwritten。そしてそれはUnbuilt建築の女王と呼ばれるザハ・ハディドへ思考はつながる。そのつながった先に(日本国民ならこの名を聞いてそれを連想しない人はいないだろう)国立競技場がある。

このモチーフ選びの的確さがとにかくすごい。行き過ぎた配慮と再定義の果てにシンパシータワートーキョーなる珍妙な名称の刑務所が新宿御苑にそびえ立つディストピア的な東京を通じて、鏡写しのように実社会への批判を展開してみせる。一歩間違えばこうなっていた?いや、間違っているのはこっちの方か?みたいな。

批判の矛先はファインバブルシャワーヘッドやコタツ記事Webライターをはじめとして、ほぼ現代社会の全ての方位に向けられている。なぜなら言葉と建築物がこの世を隅から隅まで覆いつくしている時代だからだ。誰一人として生きている限り無関心ではいられるが無関係ではいられない。ゆえに、この話はいつまでもみずみずしい。バベルの塔、東京都同情塔、ハディドの国立競技場。現実には存在しない3つのUnbuiltが答えなどない、考え続けよとずっと僕らに促してくるのだ。

とまあいろいろ書いたが、結局のところ全部笑い飛ばして読むのが正解な気もしてきた。何を真面目な顔してホモ・ミゼラビリスとか言ってんだか。かくも哀しくチャーミングなこの世界。信じられないほど笑っちゃうような決定が本当に成されるし、ありえないことが本当に起きるし、笑ってる場合じゃないのだけれど笑ってやり過ごすしかなかったり、するんだよ。
人生って最高。


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