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信じて待つ〜映画『パスト ライブス 再会』感想

実に地味で、淡くて、薄口だ。演出はとても抑制されていて、大きな起伏を意図的に避けている。再会のシーンなどもっと過剰に盛り上げることがいくらでもできるがそれをしない。2人の表情と「言葉がない」という言葉が雄弁に語る。24年ぶりに会うのにである。

そしてその再会のあとパスタを食べに行くシーンで非常に印象的だったのは主人公の2人ではなくその夫、アーサーである。個人的にはこのアーサーの振る舞いにこそグッと来た。そしてその行動はすべて正しいものだった。

彼は確かに揺れていた。自分の妻となった女性を24年間忘れられない男がわざわざ太平洋を渡って会いに来るのだ、心がざわつかないわけがない。実際、彼は2人が結婚に至るまでの全然ロマンティックではない経緯を冗談半分でやや当てこすりのように彼女に語る。グリーンカードのくだりとかわざわざ言うことないのに。そしてもしあそこで僕と君は出会っていなかったら、他の誰かと違う道を選んでいたか?と妻に聞く。そんなことは今言っても詮無いことだ。彼本人もわかっているけれど聞かずにはいられない。
それに対する妻のノラの反応が素晴らしい。私が今のこの生活を選んだ、ここにたどり着いたんだ、とはっきり、しかし優しく返すのである。

パスタのシーンに話を戻す。3人の座り位置からしてアーサーの妻への信頼がわかる。心中穏やかでないはずである。それはそのあとのバーカウンターでさらに浮き彫りになる。3人横並びでありながら次第にノラとヘソンの2人の世界から彼は引き離されていく。カメラアングルからも切り取られる(監督のいじわる)。
そのあと、ノラが席を外した時の男2人の短い会話がまた良い。「イニョン=縁」をめぐる会話。ノラとヘソンの積年が育んだ「イニョン」には叶わないけれど、こうして同じ席で食事を共にしたこの2人にもまた「イニョン」があるのだと。声を荒げたり嫉妬に燃えたりというドラマとしてのカタルシスの芽を巧みに摘んでいく展開に感動した。

ラスト、Uberまで送りに行く妻を家の中で待つアーサー。戻ってきたとき彼はどこにいたか。愛しているからこそ、信じて待つ。そして、ヘソンもそんなアーサーの人柄を理解し手を引くのである。いや手を引くという表現には語弊があって、もとよりそんな可能性はなかったのだ、少なくとも現世においては、という事実を再認識するのである。

邪推1:いわゆる人種差別や性差別にフォーカスが当たらない演出も良かった。移住してすぐに学校で周囲に馴染めずにいたり、冒頭の3人の関係を見定めるある他者の会話の中にわずかな侮蔑的目線があるだけ。ハリウッドは長らくそういう”多様性に配慮”した仕草を入れがちだったのだけれど、潮目が変わってきたのかもしれない。2024年の今になってようやく『虎に翼』でドラマに政治的イシューを持ち込むな云々と騒いでいる日本との洗練の差をまた見せつけられてしまった感もあったりする(注:『虎に翼』は文句なしに素晴らしいです)。

邪推2:ヘソンが語る「結婚するかよくわからないけど距離を置いている彼女」は本当に存在するのだろうか?彼の嘘ではないか?男というのはそのへんを曖昧にしてワンチャン狙おうとする最低の人種である、というのを僕もよくわかっているつもり。

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