備忘録2の続き

なんやかんやあって仲直りしたっぽいのでよしとした。私も一応『喧嘩するのが嫌だって思ってるのに言い返すのはお互い悪い。ばあばの前で喧嘩をするな』と釘をさしておいた。

そしてついに祖母の棺がきた。産毛処理と、お化粧と、正式名称が分からないのだが足に足袋のようなものを履かせたりした。

お化粧は今回担当の方がやっていた。前よりもっと血色よく見えた。素敵だった。綺麗だった。今まで来た業者さんはみんな、『お肌が綺麗ですね』と言っていた、それもそうだ、祖母は寝たきりでもちょっと高い化粧水やら美容クリームやらを塗っていたから。(ちなみに残った化粧水は叔母、クリームは私がもらった。ありがたく使わせていただきます、)

この時また母は嗚咽をもらして泣いていたし、私も軽く泣いた。泣かないと思っていた。”勝手に涙が出る”感覚を再確認した。

祖父は、『こいつは肌も綺麗だけど、声も綺麗だったんだよ』と言っていた。祖父からそんなことを聞くのは初めてだった。前から祖父と祖母は仲良しな夫婦なのだろうなと思ってはいたけれど、本当に本当に祖母のことを好きだったんだなあ。

そして金婚式の時みんなで撮った写真と、祖母が希望していた着物をかけてあげた。棺のふたを閉めた。窓から顔だけしか見えない祖母を見たけど、その時は涙は出なかった。


夜頃になって、友達や親戚の人達がたくさんきた。やっぱりみんな、口を揃えて『生きてるみたいだね』と言っていた。だいたい知らない人だったけど、唯一私が知っていたおばさんは、『可愛い可愛いって本当にかわいがられてたもんねえ』と言ってくれた。私と兄ら孫を小さい頃から沢山可愛がってくれていたのをよく覚えている。おんぶをされていたのも記憶あるし、何回も泊まりに行ってホームシックになる度に抱っこしてもらった記憶もある。

みんな祖母の顔を見ながら祖母の話をしてくれた。祖母は本当に信頼されて友達もたくさんいて、(私が小さい時の話だからわからないが)交通安全の活動のため下校時間あたりにいつも通学路にいた祖母を知っている近所の小学生もいたほどだった。交友関係、すごい。

祖母の人間性をはじめて詳しく知れた。

(備忘録1の方で長生きしたと書いたが、ガチの長生きだったらしく、5年生きるか分からないところを10年生きたらしい。)

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