『悲しみの秘義』若松英輔(4)【低くて濃密な場所】
情報が溢れている。昔なら、情報を得るためにどうしたら良いか? と考え、新聞を読んだり、辞書を引いたり、図書館に行ったり、知識と経験豊富な年長者に聞いたりしたのに、今は手元のスマホでいとも簡単に得ることができる。
情報を得るために調べるならまだしも、興味のない情報も次から次へと提供され、昔に比べると「知る」ことが増えたと思う。ただ、「知る」=「理解」ではない。単に知っているだけで満足して、本当のところまで調べないから、フェイクに騙されてしまうのだ。(実際は、ものすごく巧妙なのだろうが)
【低くて濃密な場所】は、批評家の越知保夫について触れている。私は知らなかったのだが、小林秀雄の研究などをされていた方で、著作物を出すことのないまま49歳で亡くなったそうだ。
「パスカルは我々をもっと低い場所へ導く。もっと空気の濃密な場所へ。」(『小林秀雄論』)
この越知氏の文章から章題【低くて濃密な場所】は取られている。難しいことは僕には良く分からないのだけれど、「地に足がついた」という意味なのかな、と自分なりには理解した。あるいは、誰かの言葉ではなく、自分の言葉で、という意味かもしれない。何もかも信じるのではなく、疑うことも大切だから、もっと自身で考え抜けという意味もあるような気がする。
溢れた情報に振り回されている現代の僕らにも、とても有益な情報である。スマホで調べると大概のことは「答え」が見つかる。しかし、【低くて濃密な場所】とは、答えを見つける場所ではないのだと思う。答えが見つかるか見つからないかは大きな問題ではないのだ。悩み、考え、苦しむことが人間としての成長につながるから、安易に「答え」を求めないこと。
本章で若松さんが書いていることは「よむ」ことについてである。
「読むことは、書くことに勝るとも劣らない創造的な営みである。作品を書くのは書き手の役割だが、完成へと近付けるのは読み手の役割である。」とまで言われると、「よむ」ことの重要性を感じる。とても大切なこと、難しいことを、分かりやすい言葉で伝えてくれる若松さんは、本質を理解しているから分かりやすい言葉で伝えられるのだと思う。そして、その言葉を完成に近付けるのは、僕らの役割なのだ。
空気を読めない人は困りものだが、空気を読まない人は場を変える力を持っている。行間を読める人は、人間関係も上手くいく。時代を読む、流れを読む、先を読む……「よむ」力は本当に大切だと思う。