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怒りは、非難だと思っていた

今週、仕事であまりにも怒りが沸き起こり、怒りを隠せず想いを伝えることがあった。

大人げないという気持ちも浮かんでくるけれど、もーしょうがないよねって、
さっぱりしている気持ちも、ある。

怒りを見せられることはずっと苦手。
なんだか自分が責められているようで、その場から逃げ出したくなる。

人が喧嘩しているのを傍観者として見ているのも苦手。
これも逃げたくなるし、止めたくなる。

人に怒りを見せるのも出来ればしたくない。何が起こるか不安だから。

怒り、についての私の見方は
怖いもの、
痛いもの、
非難を伴うもの。

でも最近は、
怒りは数ある感情の1つで、
非難を伴う、という見方はしなくてもいし、

怒りの奥にある『変化を起こしたいというエネルギー』らしきものを、見てみたい。

邪悪なものも全体の一部で、ただ在ると受け入れられたら、というのは
怖いけど新しい付き合い方だし、平和な世界を作り出せそうな予感がする。

ちなみに、今回の怒りの源は、
仲間を大切にしてもらえていない、ということ。
間違えた人が悪いんだから、罪を償う的な考え方はもう、本当に腹が立ってならない。

これはNVCでいう、自分自身のなんのニーズが満たされていないのかなぁと感じてみる。

人とのつながりの話のようにも見えるけれど、おそらく、
自分自身が人から大事にされたいとか、自分自身を自分で大事にしたいとか、
そちらに反応している気がしている。

出来事から、気づく力を鍛え中。

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