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散歩。

散歩をするのが好きだ。
音楽を聴きながら、目的地とかを決めずにただ何となく気の向くままに歩いていく。
時間の無駄遣いにも思える行動だが私にはとても心地よかった。

難波から心斎橋までの1駅を歩く。
たった一駅に何百円か払うくらいなら、時間つぶしにもなるし歩いた方が楽だと思ったのだ。
スマホのマップか前を見て歩くため、隣で歩く友達の顔を見る必要は無い。
話しかけられても、言葉を返して相槌を貰っても声でしか判断しないため、電話をしているようで心地が良かった。
カフェで対面で話す時も、行列の待ち時間に話す時も、家でお風呂から出て1番自分がまっさらな状態で話す時も、相手の顔を見て言葉を探した。
目は口ほどに物を言う。という訳では無いけれど、声は誤魔化せても表情筋は誤魔化せていない。
きっと、幸せな人生を歩まれていたのだと思う。自分の表情筋まで意識して生活しなくても、何となく人が周りに集まっていたのだと思う。
さすが、2年付き合っていた彼氏と別れて1ヶ月後くらいに新しい彼氏が出来ていただけあるなと思った。
その彼氏さんと現在あやふやな関係性らしく口を開けば彼氏への不満をぶつけてくる。
彼氏がちゃんといた事もない、恋愛すらしたことがあるのかも分からない私にとって何を答えるのが正解か分からなかった。
もし、自分がその状況を小説にするならと考えてアドバイスをしたものの友達の欲しかった答えではなかったようで顔を曇らせた。
恋愛は、答えが決まっている数学のようなものなんだと思った。
ずっと道徳みたいな答えのないものだと思っていた。
道徳も求めている答えはあるので、やはり恋愛は道徳でもあるのかもしれない。

友達を自分の家に上げるために数日前から掃除をした。
少しでもおもてなしをしなければいけないと思った。
面倒くさいと思いながらも何とか片付けた部屋に友達が泊まりに来て、何日か共にすごして私の部屋でなくなった。
片付いた部屋に、乱雑に置かれたスーツケースが私の要素をかき消していた。
私のベッドに座ってスマホを触る友達の姿は、家主のようで私はそこへお邪魔させてもらっている邪魔者のように感じた。
友達が不意にベッドの上に置いてある、コツメカワウソのぬいぐるみ型ポーチを手に取った。
ぐしゃぐしゃと容赦なく、コツメカワウソを揉む。
ポーチの中身がシャククシャと音を立てる。
「中に何が入っているの?」
友達がポーチを開けようとするので、ずっと手を伸ばして回収する。
「恋守り的なやつだよ」
揉まれた中身は戒めのために買ったゴムだ。
ある意味厄除けの恋守りだと思った。
友達は興味なさげにまたスマホに視線を戻した。

スマホという便利な機械のおかげで、暮らしは豊かになったらしいが豊かになる前の暮らしをあまり知らないので比べることが出来ない。
文通でもどかしいやり取りをしてみたかったと思う一方で、数時間の既読スルーでも不安になる私が返事が来るまでの時間大人しく待てていたか考えてこの時代に生まれてよかったと思った。

友達を駅まで送っていく数時間前から、友達が変に私にベタベタしてきた。
手を触ったり、目を見つめてきたり。
私はそれをぎこちなく表情筋を動かしながら受け入れた。
自分でもぎこちないと思ったため、友達からすればもっとぎこちない動きだと感じただろう。
申し訳ないと思った。
私もまだまだ不幸な人生を歩めていないようだ。

友達を駅まで見送り、ハグを受けいれ、安全に帰るようにと別れの言葉を伝えた。
友達は1度改札に入ってしまえば振り返ることはなく、そのくらいの関係性だったのかと思った。

イヤホンを刺して、特別好きでもないが課題で聞き続けていたため再生リストの1番上にあるボカロを流す。
何曲か聴いていたらいつか自分の好きな求めている曲になることを願いながら駅を出る。
12時間早いシンデレラとして友達が帰ったので、私は一日の半分を1人で過ごすことが出来た。
家をつくる為に早く帰っても良かったが、すぐに帰っても友達の香りが残っていて居心地が悪そうだったので何となく散歩することにした。


一発書きなので誤字脱字あるかもしれません。
ご了承ください。

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