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非日常。

「辛くなってしまうくらいなら逃げた方がいいと思うんだ」
衰弱している私を救うためにかけてくれた言葉は私を傷つけた。
言葉というものは意図しないところで人を傷つけてしまうのだ。
守るためにかけた言葉が、実は刃になっていた。みたいなことがある。
何が本当の優しさで守ることになるのか、誰も教えてくれない。

自分の正義や正しさを貫こうとすればするほど、それが弱点になってしまう。
弱さを隠す行為は、その人の強さに成りうるからこそ、強さは弱さの証明になってしまうのだ。
強くあろうとすればするほど、自分の弱さを知るのだ。

不真面目な人ほど得をしているような気がする。私にとっての当たり前のことをしただけで、彼らは世界を救ったかのように褒められる。
当たり前のことなど何一つない。と言われているが、生まれてから習慣になっていることは自分からすれば当たり前のことなのだ。
この世の全ての人に当てはまる「当たり前のこと」はなかったとしても、自分に当てはまる「当たり前のこと」はあるのだ。
その自分の当たり前に応えられない人間を、人は「使えない人」だと判断するのだろう。

もし、自分が他人にとって「使えない人」になれば私はどうなるのだろうか。
特に大きな変化はないのだろう。
向こうが私に関わることはないのだから。
知らぬ間に出来ていた期待に応えられずに、離れられる。なんてことはよくある事だ。
知らぬ間に作られた自分に擦り寄るがそれが叶わないことの方が多い。
だって、擦り寄っている時点で自分の「当たり前」を超えているのだから。

朝起きて、家族に挨拶をして朝ごはんを食べる。
学校に行って、部活をして、友だちとくだらない会話をしながらお昼ご飯を食べる。
家に帰って、今日あった出来事を話ながら夜ご飯を食べて、宿題をする。

過去の私にとっての「当たり前」が今の私にとっては「非日常」だ。
習慣化していた「当たり前」は、1年もしないうちに「非日常」へと変わる。もしかすると、1週間もかからないかもしれない。
当たり前を作るのは難しいのに、時間がかかるのに、非日常へ変わるのはあっという間だ。
良い事よりも悪いことの方が素早く出来そう。

逃げるな。逃げじゃんそれ。
部活の仲間にいわれた言葉。
私から逃げるという選択肢を奪っていった言葉。
逃げないことが正義。
当たり前だと思っていた。

当たり前が非日常に変わるのは一瞬。

「来世へ期待しましょう。」

今世から逃げましょう。
当たり前なんて破壊して。
非日常へ足を踏み入れて。

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