過去の自分に今の自分が誇れるか。
私は自分が好きだ。人間、自分が好きであることは当たり前かもしれないが、私は人一倍自分が好きだ。こんなこと実名で話すのは恥ずかしい。だからこそこの場で胸を張って吐露する。定期的に過去の自分のアルバムを見返す。ホームビデオを見返す。
話は大きく変わるが、最近人生に思い悩んでいる。これも匿名だからのうのうと書き綴ることができる。プライドの高い僕は現実世界だと気丈にふるまっている為口が裂けてもこんなことは言えない。だが、こうして夜中にPCのキーボードに意思をフィルターにかけずに想いを載せるだけで幾分か楽になる。ここ1分の気づきだ。
話を戻す。過去の自分は好きであると自分で認識しているが、なぜ好きなのか。過去の自分が今の自分と比べて常にキラキラしているからなのかもしれない。当然株価のように人生の調子をチャートで表してみると、日足や月足では上がり下がりも把握できるが、人生を俯瞰してみたところ、残念ながら私の人生は右肩下がりらしい。こんなこと言いたくないがね。過去の自分の笑顔が素敵なのも、過去のほうが幸せだったから。
特に4月に弟が受験に成功してから、より気分が沈んでいる。勿論弟の合格は非常に嬉しい。自慢の弟だ。だがしかし、弟がより成功者へ近づく分、私の気持ちには兄としての威厳を失う焦りが増していく。こんなこと書きたくないが、既に負けているかもしれない。私が気づいてない、耳をふさいでいるから気づいていないのかもしれない。
でも今日から日記を書こうと思う。私は言霊というものを大いに信じる人間であるが、ここに宣言する。私の人生はここからだと。人間やりたいこと全てを全力を尽くして行うことは出来ないが、ある程度絞れば複数個のタスクをこなすことは出来る。仕事とプライベート、どちらもここらでチャートの向きを変える時である。当然、毎日そううまくはいかない。そんなことはわかっている。ただ、今日何をしたのかという実感を自分により強く染み込ませる為にも日を記すという行為は重要なのではないかと今更たどり着いた次第である。人生を楽しむ為にはすべての事柄を実感する必要がある。喜びも悲しみも成長も。肌で感じるだけでなく、自分自身で反芻することも重要である。その日の熱が冷めならぬうちに日記を記す。この行為を続けることができ、あわよくば自身の成長に一役買ってくれることを望む。
以上を今後の私個人の当面の目標とする。
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